人の見えないところ、気づかないところで仕事をする。
誰も評価しないところで、一生懸命働く。
施しもまた、見られてはいけない。
相手がいないところで、見守るように施す。
そういう世界には、今のような「いいね」はない。
評価ではなく、古来からの美徳がある。
その美徳とは、日本の重みのことだ。
評価経済や評価研究とは、まったく別の世界である。
いまの社会は、
見えるもの、数字になるもの、拡散されるもの、褒められるものに価値が寄っている。
そこには、尊さも重みもほとんどない。
尊さや重みは、投資や権力の判断に左右されるものではない。
もし、そういうものだと考えるなら、それはあまりにも薄っぺらい。
誰も見ていないときに、台所をきれいにする。
誰も見ていないときに、靴を揃える。
誰も見ていないときに、掃除を済ませる。
皆が寝ている間に水打ちを済ませ、入り口に塩を盛る。
誰かが困らないように、先に直しておく。
仲間や相手が恥をかかないように、黙って支える。
「助けてやった」と言わず、相手の誇りを残す。
自分の名前を残さず、場だけを整える。
「〇〇さんのおかげで助かりました」決して手柄を自分のものにしない。
仲間を褒める。
それは聖人の話ではない。
かつては、一般の庶民が当たり前のように毎日行っていたことだった。
誰にも測られなくても、その人の中にしっかり沈んでいたもの。
昔の職人や商いの親方が持っていた、
「人が見ていなくても、天が見ている」という感覚。
社長が、工場の機械に頭を下げて話しかける。
「長い間、お疲れ様。何度も一緒に乗り越えてきたよな……」
まるで戦友と語っているかのように。
そこには、どこか弱々しさも見える。
けれど、ちゃんと担力がある。
手柄や善意をすぐ見せたがるようでは、十年は続かない。
重みは、言語にした瞬間に、価値が下がる。
先人たちの経験と、言語を超えて伝わるもの。
それが日本の重みである。
神秘などではない。
生活の中で、仕事の中で、人が黙って受け継いできたものだ。
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