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2026年5月21日木曜日

outlawだってさ。ありがとよ。 - Associatronと一人称自律

 オランダからメールが来たよ。

「Atraもいいけど、outlawだろ、」ってさ
最高だよ。
outlaw architectureってのは間違いないよねw

実際、僕は、流れや制度・分類・学派・評価体系の外にいる者だし、そういうのあまり大切にしていない。今の大学の事は分からないけど、理系の学生達から聞いたけど、ニッチな研究は教授たちから止められるって言ってたよ。あれだ、起源を教えない料理学校みたいなものだ。
文明の進歩ほど意外と窮屈なんろうよ。


でも、ニッチだろうが古典だろうが、勉強しておくといいよ。
中野博士のAssociatronの書籍は海外版では存在していないんだけどさ、
前にも書いたけど、日本の古典を英訳する商売でもしようかと本気で思ったくらい日本の科学・物理系の書籍は素晴らしいからね。日本に旅行に来るなら、神保町に行かなきゃだよ。
古本屋回りして、カレー食って、古めの喫茶店で、友達の日本人に翻訳してもらえばいい。
もしくは1ページずつ画像に撮ってAIに翻訳してもらえばいい。それだけの価値があるんだ。


Kaoru Nakano, “Associatron-A Model of Associative Memory,” IEEE Transactions on Systems, Man, and Cybernetics, 1972. 英語論文で、Semantic Scholar でも 1972年、IEEE、pp.380–388

1971年の IJCAI にも中野馨・南雲仁一による “Information Processing Using a Model of Associative Memory” が出てる。PDFも残っている。

論文もいいんだけどさ、論文は論文なんだよ。書籍とは違う。
Hopfield networkとの違いがはっきり分かるし。
ノイズを否定しない理由も分かるかもね。

一人称自律とか、carryとか、幼児の差分、みたいのはAssociatronには無いけど、Associatronを学ばないと、それ等が生まれてこなかった理由が分かると思う。

テューリングマシンとかチェッカー学習とか、1943年のW.S.McCullochや、W.Ptts、1949年のD.O.Hebb、1950年からのF.Rosenblattとかさ、M.MinskyとかNilssonとか勉強するわけじゃん。80年代のHopfield とかさ。でもKaoru Nakanoを読まないと一人称自律の構想には繫がらないと思うんだ。中野のAssociatronは、そのままでは一人称自律ではないけど、一人称自律へ接続できる決定的な構造を持っているんだよ。


まず、記憶したいパターンをベクトルで表すよ。

x(1),x(2),,x(p){1,+1}nx^{(1)}, x^{(2)}, \dots, x^{(p)} \in \{-1,+1\}^n

それぞれの記憶パターン x(μ)x^{(\mu)} を外積で重ね合わせ、記憶行列 MM を作る。

M=μ=1px(μ)x(μ)TM = \sum_{\mu=1}^{p} x^{(\mu)} {x^{(\mu)}}^T

想起は、部分的な手がかり cc を入力して、

rt+1=sgn(Mrt)r_{t+1} = \operatorname{sgn}(M r_t)

または初期入力を r0=cr_0 = c として、

rt+1=sgn(Mc)r_{t+1} = \operatorname{sgn}(M c)

のように進む。

ここで重要なのは、外部が「これを思い出せ」と命令しているのではなく、手がかりが内部の記憶構造に入ると、内部の重なりによって想起が立ち上がる という点なんだ。

つまり、外部入力は命令ではなく、cue だよ。きっかけで想起する。



ある手がかり cc が、記憶 x(μ)x^{(\mu)} にどれくらい近いかは、内積で表すと

mμ=1nx(μ)Tcm_\mu = \frac{1}{n} {x^{(\mu)}}^T c

この mμm_\mu が大きい記憶ほど、想起されやすくなる。

ただし、ここで大事なのは、最大値を if 文で選ぶのではなく、記憶行列全体の中で重なりが増幅されること。

Mc=μ=1px(μ)(x(μ)Tc)M c = \sum_{\mu=1}^{p} x^{(\mu)} \left({x^{(\mu)}}^T c\right)


手がかり cc を入れると、各記憶 x(μ)x^{(\mu)} が、その重なり量 x(μ)Tc{x^{(\mu)}}^T c に応じて立ち上がる。

つまり、

Recall=stored patterns weighted by overlap with cue\text{Recall} = \text{stored patterns weighted by overlap with cue}


ここから、Atra/Atron へ繋がるんだよ。


Associatron には、まだ carry はないよ。俺が山に移住して気が付いたんだもの。
一人称の経験状態もないしね。
幼児の差分もない。

だから、そのままでは一人称自律じゃないんだ。

Associatron の想起式に、現在の身体状態・感情差分・過去の引きずりを加えると、自律の入口が見えてくるって寸法なのさ。

外部入力を sts_t、内部の引きずりを qtq_t、現在の手がかりを ctc_t とするでしょ。

ct=Ast+Bqt+Crt1c_t = A s_t + B q_t + C r_{t-1}

ここで、

  • sts_t:現在の外部刺激、視覚・音・匂い・接触など
  • qtq_t:carry、つまり過去の経験の引きずり
  • rt1r_{t-1}:直前の想起状態
  • ctc_t:現在の手がかり

を持たせる

このとき、想起は単なる外部刺激ではなく、

rt+1=sgn(Mct)r_{t+1} = \operatorname{sgn}(M c_t)

になる。


rt+1=sgn(M(Ast+Bqt+Crt1))r_{t+1} = \operatorname{sgn}\left(M(A s_t + B q_t + C r_{t-1})\right)

これが一人称自律へ接続するための基本形になる。

外部刺激だけで反応しているわけじゃないよ。
現在の刺激、過去の引きずり、直前の想起が混ざって、次の想起が立ち上がる。

ここで初めて、同じ刺激を受けても、同じ反応にならないという状態が生まれるわけよ。



carry (引きずり)は、単なる記憶じゃないよ。
「引きずり」って言葉は工学っぽくないからそう命名したんだw
教授たちを怒らせるためにね。まぁいいや。

carryは経験のあとに残る内部地形の変化。
(前に書いたけど、実はHebbも似たような概念を持っていたんだ2回前を読んで)

たとえば、

qt+1=λqt+Φ(Δst,Δbt,rt)q_{t+1} = \lambda q_t + \Phi(\Delta s_t, \Delta b_t, r_t)

と置ける。

  • qtq_t:現在の carry
  • λ\lambda:減衰率。ただし完全には消えない
  • Δst\Delta s_t:外部刺激の差分
  • Δbt\Delta b_t:身体状態の差分、痛み・揺れ・疲労など
  • rtr_t:その時に立ち上がった想起
  • Φ\Phi:経験を carry に変換する関数

より具体的には、

qt+1=λqt+αΔpaint+βΔfeart+γΔwarmtht+δΔcuriosityt+ηrtq_{t+1} = \lambda q_t + \alpha \Delta pain_t + \beta \Delta fear_t + \gamma \Delta warmth_t + \delta \Delta curiosity_t + \eta r_t

のように書ける。

ここで大事なのは、carry が外部命令で決まるのではなく、差分と想起によって変化する ことだよ。

Atra/Atron では、これが非常に重要なんだ。

「痛い」という意味ラベルを入れるのではない。
身体の揺れ、接触、姿勢崩れ、声の変化、過去の想起が重なって、内部状態が少し変わる。

その変化が次の想起に混ざるってこと。



こから、記憶行列 MM 自体も固定ではなく、carry によって見え方が変わると考える。

M(qt)=μ=1pρμ(qt)x(μ)x(μ)TM(q_t) = \sum_{\mu=1}^{p} \rho_\mu(q_t) x^{(\mu)} {x^{(\mu)}}^T

ここで ρμ(qt)\rho_\mu(q_t) は、carry によって変化する記憶の立ち上がりやすさ。

すると想起は、

rt+1=sgn(M(qt)ct)r_{t+1} = \operatorname{sgn}(M(q_t)c_t)

になる。

つまり、

rt+1=sgn(μ=1pρμ(qt)x(μ)x(μ)Tct)r_{t+1} = \operatorname{sgn} \left( \sum_{\mu=1}^{p} \rho_\mu(q_t) x^{(\mu)} {x^{(\mu)}}^T c_t \right)


同じ手がかり ctc_t でも、carry qtq_t が違えば、立ち上がる記憶が変わる。


ct is not interpreted by the world, but by the internal landscape.c_t \text{ is not interpreted by the world, but by the internal landscape.}

外界が意味を決めるのではない。
内部地形が意味の立ち上がり方を変える。

ここが一人称自律ってわけよ。

Associatronだけじゃ無理だけど、Associatronを学ばないと、こういう発想にならない。






想起された状態 rtr_t と carry qtq_t から行動が生まれると考える。

at=π(rt,qt,st)a_t = \pi(r_t, q_t, s_t)

ただし、これは普通のAIのような

commandplanaction\text{command} \rightarrow \text{plan} \rightarrow \text{action}

じゃないよ。

Atra/Atron では、

cuerecallcarry-shiftaction tendency\text{cue} \rightarrow \text{recall} \rightarrow \text{carry-shift} \rightarrow \text{action tendency}

になる。

もう少し数式っぽくすると、

P(at)=softmax(Wart+Wqqt+Wsst)P(a_t) = \operatorname{softmax} \left( W_a r_t + W_q q_t + W_s s_t \right)

行動は命令への応答ではなく、内部状態から確率的に傾く。

だから、同じ場所、同じ音、同じ人、同じ刺激でも、過去の carry によって違う行動が出る。

これが「一人称」へ近づく理由。



Hopfield network との違い

Hopfield network は、一般にエネルギー関数を下げて安定状態へ向かうモデルとして理解されるでしょ。つまり、ノイズを含んだ入力から記憶パターンへ収束する、という見方が強い。Hopfield network は対称結合を持ち、局所エネルギー最小へ向かう内容番地指定記憶として説明されてる。

しかし、Atra/Atron から見たときに重要なのは、単なる収束じゃない。

重要なのは、

noiseerror\text{noise} \neq \text{error}


ノイズや曖昧さは、間違いではなく、想起の分岐を生むものなんだよ。
中野博士との違いだな。甘利先生はどう思ったんだろうね・・・
まぁいいや

Associatron では、手がかりが小さいと想起が曖昧になる。これは欠点ではなく、むしろ一人称自律への入口になる。
曖昧な cue が入り、内部の carry によってどの記憶が立ち上がるかが変わる。そこに個体差が生まれる。

だから、

rt+1=sgn(M(qt)(ct+ϵt))r_{t+1} = \operatorname{sgn}(M(q_t)(c_t + \epsilon_t))

と書いたとき、ϵt\epsilon_t は単なる除去対象じゃなくなる。

ϵt\epsilon_t

は、揺らぎであり、偶然であり、環境の粗さであり、身体のズレであり、経験の入口になる。
あとはアルゴリズムは否定しないけど、順番関係なくなる事が多いからね。
そういうのも前のブログに書いてる。





巨大なパラメータと計算量によって外部から正解らしさを作る現代AIに対し、Atra は、内部に残る carry と cue-driven recall によって、同じ刺激に対しても異なる想起と行動傾向を生む。そこに見えるのは、知能の巨大化ではなく、経験によって内側の地形が変わり、次の反応が変わるという、一人称自律の最小構造になる。(これを聞いて皆研究を止めるんだけどね:その先があるのに・・・)

Atra の実装で重要なのは、数式をコードに落としたことそのものじゃないよ。重要なのは、状態遷移の中で carry が残り、次の想起を少しだけ変え、さらにその変化が次の行動傾向を変えることと考えている。

これは外部から命令された行動ではない。
また、正解に向かう最適化でもない。

小さな差分が残り、残った差分が次の内部地形を変え、その内部地形から別の想起が立ち上がる。その循環が始まったとき、Atra は単なるシミュレーションではなく、一人称自律の入口に立つって感じ。

LLMに勝つ・負けるではなく、そもそも見ている現象が違うってこと。

たとえば、森田先生のモデルの非単調について言うなら、入力が強くなれば出力も強くなる、という単純な単調関数をやめるということ。普通のニューロンモデルは、入力が大きくなるほど出力も大きくなる。でも森田さんの非単調神経回路網では、入力がある程度を超えると、逆に出力が弱まるような性質を入れる。

つまり、input が強すぎる⇒output が弱まる
という感じでしょ。

これが何を生むかというと、強すぎるアトラクタの吸引力を弱める。森田さんの解説では、強いアトラクタ周辺で各素子への入力の絶対値が大きくなり、出力が 0 に近づくことで吸引力が弱まり、エネルギー地形が滑らかになり、偽記憶が減る、と説明されてるよね。さらに、点アトラクタだけでなく、線状につながる「軌道アトラクタ」を作れるってことさ。


Hopfield 的に言えば、普通は入力→一つの安定点へ収束になりやすい。でも森田さんの非単調では、強すぎる吸引→弱まる ので、状態が一点に貼り付くだけではなくなる。その結果、溝の底へ引き寄せられたあと、溝に沿ってゆっくり動くような状態が作れる。森田さんはこれを「軌道アトラクタ」と呼び、時空間パターンの記憶に結びつけてる。

Atra/Atron の文脈で言うなら、非単調は、記憶を一点の正解に固定しない。強すぎる想起をいったん鈍らせ、次の状態へ流れる余地を作る。

だから、carry と相性がいい。

Atra では、
rt+1​=f(M(qt​)ct​)

のように書いたとき、ここでの f を単純な sgn やシグモイドにしてしまうと、強い記憶へ一気に落ちやすい。

でも、森田型の非単調関数を使うなら、
rt+1​=g(M(qt​)ct​)
となり、g は入力が強すぎると出力を下げる。

たとえば概念的には、
g(u)=uexp(−au2)
のような形かな。
これは厳密に森田さんの式そのものとしてではなく、非単調性を示す説明用の形。この場合、入力 u が小さいうちは出力が増える。でも u が大きくなりすぎると、出力は下がる。

つまり、

u↑⇒g(u)↑

じゃなくて

u↑⇒g(u)↑⇒g(u)↓

になる。これが非単調。


森田昌彦先生の非単調神経回路網は、Associatron から Atra へ向かう途中にある重要な橋になってる。通常の単調な出力関数では、入力が強くなるほど出力も強くなり、状態は強いアトラクタへ引き込まれやすい。しかし非単調性を入れると、入力が強すぎる領域で出力が弱まり、強いアトラクタの吸引力が抑えられる。その結果、状態は一点に貼り付くのではなく、溝に沿って移動する軌道アトラクタを形成できる。
Atra にとって重要なのは一人称自律は、正しい記憶点への収束ではなく、cue、recall、carry、そして次の分岐によって生まれる。森田モデルの非単調性は、想起を固定点に閉じ込めず、流れとして扱うための古典的な手がかりになること。




---------------追記---------------

大事なことが抜けていた。
研究とは別のシステム開発の本業があるからね。電話来るたびに忘れる。

現実の経験には、本当はきれいな順番がないってことさ。でも、コードに落とすと、どうしても順番が必要になる。

sensor を読む
recall する
carry を更新する
action を決める
motor を動かす

みたいに書かないと、プログラムは動かない。
でも生命や幼児の経験は、そんなふうに、

1. 見る

2. 判断する

3. 感情が出る

4. 行動する

じゃないんだよね。


実際にはもっと絡み合っている。


見た瞬間に身体が固まる。
身体が固まったことで見え方が変わる。
見え方が変わったことで昔の似た感じが立ち上がる。
その想起がさらに怖さを強める。
怖さが足の動きを変える。
足の動きが視界を変える。
視界がまた想起を変える。

つまり、順番ではなく 相互作用の渦なんだよ。


コードは順番でしか書けない。
しかし、モデルとして表したいものは順番を持たない。
ここを無視すると、すぐに普通の制御プログラムになる。三人称のね。

if 怖い人がいる:
    通学路を変える

これは三人称制御になっちゃうでしょ。



怖い人がいる

身体が少し固まる

その場所の見え方が変わる

次の日もその場所の手前で何かが引っかかる

歩く速度が変わる

遠回りが一度起きる

遠回りした安心感も carry に残る

やがて別の道が癖になる

これは命令ではなく、場の結びつきの強さが変わっていくということ。


もっと分かりやすく言うと

お腹が空いたから、食べる。
じゃなくて
食ったら、お腹空いてたことに気が付いた。
みたいな

より生物的な順番の無い場の結びつき



だから、コード上では順番があるように見えても、設計思想としては
各ステップで「決定」しない。
各ステップで少しずつ場を変える。
式で言うなら、きれいな一本線ではなく、

st​,rt​,qt​,bt​,at​
が互いに影響し合う形にする。

s(t) : 外界・感覚
r(t) : 想起
q(t) : carry
b(t) : 身体状態
a(t) : 行動傾向

本当は、
s → r → q → a
ではなく、
s ↔ r ↔ q ↔ b ↔ a
に近い。

ただしコードでは同時に更新できないので、暫定的にこんなかんじ。
次の状態を一度バッファに計算する
最後にまとめて反映する


next_recall = recall(current_sensor, current_carry, current_body)
next_carry = update_carry(current_carry, current_sensor, current_body, current_recall)
next_body = update_body(current_body, current_carry, current_sensor)
next_action_bias = update_action_bias(next_recall, next_carry, next_body)
current_recall = next_recall
current_carry = next_carry
current_body = next_body
current_action_bias = next_action_bias
こうすると、コードには順番があるけど、思想としては ひとつの場の同時更新 に近づく。


現実の経験には、実はきれいな順番がないんだ。
見てから怖がるのではなく、怖がった身体が見え方を変える。
想起してから行動するのではなく、動きかけた身体が次の想起を変える。
しかし、コードは順番を要求する。
sensor を読む、recall する、carry を更新する、action を決める。
そう書かなければ実装できない。

だから Atra の実装では、順番をそのまま世界の構造だと勘違いしてはいけない。コード上の順番は、計算機に渡すための便宜であって、生命の順番ではない。本当に扱いたいのは、cue、recall、carry、body、action が互いに少しずつ場を変える循環である。

差分の競争で勝ったものが上がる順っていえば分かるかな。
コードでは、
sensor → recall → carry → action
みたいに順番で書くしかないけれど、Atra/Atron の内部では本来、一番強く差分を持ったものが先に浮く
di​(t)=ws​Δsi​(t)+wq​qi​(t)+wb​Δbi​(t)+wr​ri​(t−1)
みたいに、各要素の「上がりやすさ」を差分スコアとして持たせる。
i∗=argimax​di​(t)
または、硬く最大値を取らずに、
P(i)=softmax(di​(t))
で、どの要素が先に浮くかを決める。

つまり Atra/Atron では、
sensor を読んだから recall する
recall したから carry を更新する
carry があるから action するではなく、
sensor / recall / carry / body / action tendency の中で、
いま最も場を変えた差分が浮くってこと。






それと、アウトローでも何でもいいけど

前の記事
こういう恐れがあるから自律研究は止めない方がいいと思う。




2026年5月15日金曜日

The Moment Noise Is Discarded, Autonomy Disappears

 When we think about autonomy in Physical AI, ordinary AI and robotic control tend to treat noise as something undesirable.

Of course, given the enormous amount of data involved, it is understandable why this happens.
Reduce noise, correct errors, suppress variation, and bring behavior closer to something predictable.
As an industrial product, that direction is natural.

However, when we think about autonomy, there is a serious problem here.

Noise = something undesirable
Error = something to be eliminated
Variation = something that lowers stability
Unpredictability = control failure

With these assumptions, how can autonomous AI possibly be created?

Experience does not mean returning the same result every time from the same input.
Even when seeing the same scenery, hearing the same sound, or touching the same person, the response changes subtly depending on the body at that moment, memory, fear, fatigue, smell, temperature, and the remaining trace of past pain.

The moment such subtle differences are erased as noise, the changes produced by experience disappear.
If the changes produced by experience disappear, carry disappears.
If carry disappears, irreversibility disappears.
If irreversibility disappears, autonomy becomes mere control.

In 1972, Dr. Kaoru Nakano of Japan proposed an associative memory model called the Associatron.
The Associatron stores memory in a distributed manner and recalls the whole from partial cues. When the cue is sufficient, recall becomes clear. When the cue is small, recall becomes ambiguous.

What matters here is that ambiguity itself is part of how memory works.

About ten years later, the Hopfield network appeared.
The Hopfield network had a major influence as a model that converges from noisy input toward stored memory patterns.
It is an excellent model, and I do not deny its value.

However, within that stream, neural network research increasingly moved away from first-person ambiguous experience and toward externally defined correct answers, evaluation, stable states, and convergence.

Here lies a major fork in thinking about autonomy.

Do we remove noise and move toward a stable answer?
Or do we treat noise as an entrance for experience, allowing those differences to alter the internal state?

I am researching Atron, a first-person autonomous robot, based on Dr. Nakano’s associative memory model, the Associatron.

Things do not possess meaning from the beginning.
Through the result of experience, it accumulates whether something has meaning for oneself.

Memory is something that is forgotten.
However, something may trigger recall.
And only then, after the fact, is “meaning” first attached as a label to that event.

This is not about controlling objects that have been labeled from the beginning.
Meaning does not come first.
Meaning appears after experience.

I do not deny algorithms.
However, we must distinguish between the third-person artificial external environment and the first-person internal environment.

In the external environment, there are artificially designed events, but there are also natural phenomena that do not follow an algorithmic order.
In the internal environment, there are impulses without order, and there are also behaviors that become algorithmic through external influence.

Both are dynamic.
For this reason, I define them as the outer ring and the inner ring.

The outer ring is the flow of events entering from the outside.
The inner ring is the field where the first-person internal state wavers, selects, rejects, recalls, and changes in response to that flow.

What is a world without algorithms?
It is close to the world of a baby, which everyone has experienced.

A baby cannot say, “I am hungry,” simply because it is hungry.
It does not even know that it is hungry.
Without knowing the reason, the body cries.

Food, too, does not possess the meaning of “food” from the beginning.
It is merely an object that exists there.
Whether something tastes good or bad is not yet recognized by the mind in an organized way.
It begins only with whether the body accepts it or rejects it.

As the baby grows a little, something even more interesting happens.
Rather than eating because it is hungry, the act of eating may come first, and only afterward does it become possible to realize, “Perhaps I was hungry.”

In other words, order and recognition are not arranged from the beginning.

Through accumulated experience, things gradually settle where they settle.
However, this does not mean starting from zero and moving toward the same standard.

An ambiguous individual accumulates ambiguous experiences.
As a result, a way of settling emerges that is unique to that individual and those experiences.
The difference becomes that individual’s standard value.

This is the starting point of autonomy.

For Atron, noise is not garbage.
Noise is the crack through which experience enters.



2026年3月15日日曜日

Atron 自律ロボット(一人称)とは何か

 

1. 違和感から始まったこと

私は長いあいだ、Nakano-style Associatron の再実装と再検討を続けてきた。
それは単なる懐古ではない。古いものをただ再現したかったのではなく、そこに今の AI や情報処理では見失われてしまった何かが残っている気がしていたからである。実際、Associatron には、入力と出力のあいだを単純な手続きで結ぶのではなく、何かが内側で立ち上がる感触があった。私はその感触を確かめたかった。

その途中で、Hebbやパーセプトロン、NN,バックプロパゲーション、Hopfield ネットワークも改めて見直した。
Hopfieldは収束はする。きれいに落ち着く。説明もしやすい。数式にも乗る。だが、どうしても「生きていない」という違和感が残った。形としては記憶に見える。安定点もある。しかし、そこには自分から何かを思い出し、何かに引かれ、何かに躓きながら次へ進むような感じがなかった。うまくまとまっているのに、何かが決定的に足りなかった。

森田先生の非単調性にも強く惹かれた。
単純な単調増加の世界ではなく、揺れや反転や、文脈によって変わる動きがあることは、とても重要に思えた。実際、動く。しかしそれでもなお、どこかに外部制御の匂いが残った。言い方は難しいが、まだ「そう動くようにしている」感じが消えなかった。生命に近づいたというより、高度になった制御に見える瞬間があった。

この段階では、私はまだ結論を持っていなかった。
Associatron が正しいとも、Hopfield が間違っているとも、非単調性が足りないとも言い切れなかった。ただ、どれもそれぞれ価値を持ちながら、なお「なにかが足りない」という感覚だけが消えなかった。
しかもその違和感は、性能の問題というより、もっと奥にあるもののように思えた。精度を上げれば済む話でも、パラメータを増やせば片付く話でもなかった。

その違和感は、LLM と連動させた実験を始めたとき、さらに強くなった。
LLM は便利だった。説明できる。まとめられる。文章にできる。外部の知識にも手が届く。研究の補助としては圧倒的に有用である。しかしその一方で、強い違和感が生まれた。言語化が強すぎるのである。何かが立ち上がる前に、意味が先に決まってしまう。想起よりも説明が勝ってしまう。こちらがまだ掴んでいないものまで、きれいな言葉で先回りしてしまう。その結果、便利であるにもかかわらず、妙に反発したくなる瞬間が生まれた。ハルシネーションを起こしやすい構造になっている。

ここで、私の中に一つの問いが生まれた。
なぜ人は LLM と喧嘩するのか。

これは単に、AI の答えが間違っているからではない。
論理的には正しいことを言っているのに、強い反感が生まれることがある。説明されるほど拒否したくなることがある。「それは一般論としては正しいかもしれないが、俺の話じゃない」と感じることがある。この反応を、私は最初は未熟さや感情的反発として片付けようとした。しかし、むしろ逆ではないかと思うようになった。

つまり、この反感はエラーではなく、知能の本質に関わる反応なのではないか、ということである。

もしそうだとすれば、問題は LLM の性能だけではない。
こちら側にも、外から与えられた意味をそのまま受け取らない構造があることになる。説明が正しいだけでは届かない理由があることになる。そしてその理由は、おそらく知識不足ではなく、一人称の側にある。

私はそこで、Associatron をもう一度見直した。
Associatron は「みんなの記憶」ではなかったのではないか。ひとつの巨大な共有知の箱ではなく、本来は閉じた内輪としての記憶だったのではないか。だから複数あってよい。だから他者に教わることが成立する。だから、同じ出来事を見ても同じように反応しない。
ここで初めて、私ははっきりと、一人称という言葉を避けてはいけないと思うようになった。

さらに重要だったのは、「積」の見え方が変わったことである。
それまで私は、学習とは何かを取り込み、意味づけし、価値づけすることだと思いがちだった。しかし、そうではないのではないか。Associatron 的な学習とは、まず受け入れることに近いのではないか。必要だったか、不必要だったかは、その場では決まらない。後になって、ある Cue に対して何が立ち上がるか、そのとき初めて分かる。
つまり、判断は Learn の瞬間ではなく、Recall の瞬間に起きているのではないか。


Cueによって想起する瞬間


 この見方に立つと、外から意味を注入しても、共鳴しなければ動かない理由が見えてくる。

逆に、ごく弱い刺激でも、内部に積があれば強く発火することがある。
自発性は、入力の強さではない。
外輪の出来事が大きいか小さいかではなく、内輪が何を積み、どう回っているかによって決まる。ここで私は、ようやく違和感の輪郭を少し掴んだ気がした。

問題は、知識が足りないことではなかった。
問題は、正しさを計算することでもなかった。
問題は、自発性が一人称の内側からしか立ち上がらない という、あまりにも当たり前で、しかし今までほとんどまともに扱われてこなかった事実だったのである。




アソシアトロンの想起実験は、すでに 700 回を超えて行った。
さらに 1995 年に遡る資料をもとに、Turbo C で作られた言語や行動に結びつくロボテクスの実験も行った。そこでは world から robot のファイルを独立させ、ライオンが吠えるという外部の出来事に対して、ロボットが自らの判断で逃げたり、ウサギや木の実に対して興味を示したり、言語の収束を見せたりする実験を続けた。後にはロボットをさらに別ファイルへ分け、一人称性を強めた実験も行った。

ロボットのファイルをcoreから別け、イベント(外輪:三人称)の影響で、ロボット(内輪:一人称)がどう反応しどんな行動を取るかをみる自律テストを観るデモ


しかし、そこには、いくら一人称に寄せても越えられない壁があった。
一見すると刺激パターンや重みの構造に見えるのだが、その奥には、やはり人間の概念が優先されたアルゴリズムが残っていたのである。

私はアルゴリズムそのものを否定したいわけではない。
それは工学において必要であり、有効でもある。
しかし、たとえば「危険」を本能として扱った瞬間に、そこにはすでに外部命令が入り込んでいることに気づいた。
確かに危険という傾向はあるのかもしれない。だが、それを最初から「危険」として与えてしまうと、その概念がすぐに内部を占領し、どのロボットも危険と判断した場所へ近づかなくなる。

人間社会は、本当にそのように作られてきたのだろうか。
むしろ経験の中で、「前は怖かったが、今はそうでもないかもしれない」「状況によっては違うかもしれない」という揺れや変化が生まれるのではないか。そう考えて実験を繰り返すうちに、私は、自分自身がすでに「ライオンは危険大、ハイエナは危険中くらい」といった外部命令を埋め込んでいたことに気づいた。
55 の要素についても同じである。初めから用意された刺激パターンや、組合せ言語を使い、その中から選び、収束していく仕組みに、私は強い違和感を覚えた。



ライオンが大声を出した
というActがあってもAは危険という組合せに当てはまるので、初めのうちは誤認する。しかしそのうち再び出会うと避難所に逃げる。怖いという経験を積むからだ。そして黒豚が現れると直ぐに黒豚に近づく。
これは「英雄」以外の何物でもない。
たぶん、僕がrobotなら、しばらく引きこむだろう。
初めは僕も感動したが実験を繰り返すうちに安っぽく感じるようになった。


「いったいロボットの経験とはなんなんだろう。」


なぜ、人間はアルゴリズムを使って美しい物語に寄せたがるのか。
RPGゲームで落ち込んで主人公キャラが引きこもって動けなくなったら、「金返せ!」になるからか。僕が作っているのは哲学や思想ではなく、力学を用いた現象の再現だ。




2.もうひとつの違和感 ラベル付け

アソシアトロンのturboCのデモは、codeを公開しなかった。理由は違和感があったからだ。
いきなりPythonやC++で作らなかったのは、JavaScript骨格を決めることを前提に拡張できる可能性の高いものは移植、そうでないものは残念だが公開は出来ない。

でも、アソシアトロン(Associatron)のデモには数多くのヒントは頂いた。
core.js と robot1.js に分け強引に1人称にはしたが、動物や対象の見分け方はまだ 名称寄り・意味寄り で、 物体差・行動差・音差からの想起 にはなっていなかった。

world object が最初からlion、bear、rabbit、nuts、boarという 名前つき object で定義されていて、さらに danger / edible / fur / white / black / brown という属性名まで与えられていた。world から robot へ渡る前に、すでに人間の分類がかなり入っている。55の要素もそうだし、robot は「目の前の物体差」そのものを育てているというより、すでに world 側で整理された object index と属性パターン を受けて想起している構造「ライオンは危険寄り」「木の実は edible 寄り」という人間の意味付けに近い動きだった。

  • avalanche = A, D

  • lion = A, C, F

  • bear = A, C, E

  • rabbit = B, C, D

  • nuts = B, F

  • boar = B, C, E

ここで A が danger、B が edible と名前づけされているので、もう最初から「この物体は危険系」「この物体は食べ物系」という整理が入っている。

これは、なんちゃって自律の一人称に近いもので、正確な一人称ではない。
どういうことかというと、robot は「名称のない差異」ではなく、その world 定義を受けて想起している。



余計な既成概念を捨ててこう考えてみよう。

ライオンは初めて見たとき
危険と感じるか・・・危険!となった時にそこでこの研究は終わる。

生まれて初めてライオンを観たとき。
どんな記憶の残り方をするか・・・・。

unknownObject


1,それは、ただの物体
2,名前はない(あってもbu-bu-ba-puと発声し易い唸りに近い音で適当に付けるだろう)
3,見た目とか形
   大きい / 小さい
   茶色い / 白い/ブチ/斑点・・・
   毛が多い / 少ない
   首が長い / 短い
   頭が大きい / 小さい
   口が大きい / 小さい
   足の本数
   足が無い
   自分に似ている / 似ていない
4,動きと行動
   飛ぶ / 飛ばない
   ジャンプする/しない

   足が速い / 遅い
   動きが速い / 遅い
   群れで動く / 単独
   近寄ってくる / 来ない
   草を食べる / 他を襲う
   這う
   穴に潜る
   水の中に入る
5,音と声
   声を出す / 出さない
   声が大きい / 小さい
   高音 / 低音
4. 不思議観
   這う
   穴に潜る
   水の中に入る
   うろこ

これも定義したものだけど、答えが出てくる。
それぞれの数値化ではなく、印象の薄い物体は文字通り薄い。
では、脳はどういう記憶の残り方をするかだが、それは
アソシアトロンそのもので、地形に刻まれる記憶であって何も条件は必要が無かったのだ。
これ等の条件を入れることがアルゴリズムになってしまう。



たとえば人間側の説明のために一時的に

この物体をobject_1042にしよう。

差異ベクトル として扱うのが自然


lion = { size: large color: brown fur: high neck: short legs: 4 speed: fast voice: loud }

ではなく、


object_1042 = [ 0.82, // size large 0.74, // brown 0.91, // fur 0.33, // neck short 0.12, // head large 0.65, // mouth large 0.92, // 4 legs 0.88, // run fast 0.72, // movement speed 0.15, // flock 0.18, // approach 0.94, // predator 0.64, // roar loud 0.41 // voice low ]

のような感じ。
何を意味するかというと、見た物体をただ表現した数字。
想起するときに、
「あーなるほど、furpredatorrun fast、4 legs」の印象が強かったんだ・・・」 と見る指標であり、これでrobotを動かしているわけではないということ。
ただ、想起だけで考えると印象が固定される。
なので32次元前後で扱い、項目4の「引きずり」に渡す変動指数としても扱う。



想起

「ガオー!」
一声聞いただけで、その物体を思い出すのがアソシアトロン。
物体全体を理解してから想起するのではない
断片だけで想起が立つ


feature.size_large = 0.82
feature.motion_fast = 0.74
feature.voice_low = 0.63
feature.fur_dense = 0.91

この どれか一つだけでも cue になる。
アルゴリズムとか、順番とか何も関係ない。






3.命令、評価、スペック、最適化から離れる
(数式、codeは後)

今更人間社会で評価や承認、向上心や依存、アルゴリズムや優先順位、最適化から離れて暮らせと言われても、山奥で自給自足で暮らす変わり者みたいに思われるし、そもそも現代の社会でそれらを省いて考えるのは問題がある。


しかし、「生まれたて」という定義でロボットの自律を考えるとき無視できないのは、本能という備わった怪しい条件と、DNAというAtronScriptのような定義のようなものを勝手に結びつけたくなってしまう誘惑が起る。

ロボットはいきなりサバンナのフィールドに置かれ何を感じるのか?
研究者達は何が恐怖で、何が安心なのかを必死で考える。
膨大なアルゴリズムがグルグル回る。

ゲームじゃなくてロボット(自律1人称)の感情の変化を観ている。世界は3人称


--------------------world1の物語--------------------


「怖いとは何か」怖い条件を揃える事でもなければ、ライオンやハイエナは怖い度90%とかのように数値化させるものでもなければ A=恐怖、B=興味のように組合せで寄せるものではない。

sensorがあり、外界のサバンナというフィールドが目の前に入り込む。
暑い、広大でいろんな音が聞こえてくる。多くのまとまった物体や小さな物体が居る。
みんな群れのような複数で行動している。小さい物体が後ろをついて行く。
草場があり、水が広がる場所も見える空が青かったのがオレンジ色に変わっていく。

言葉には出来ないけど、なんだか素晴らしい

洞穴がある。細い種のモノたち(人々)が住んでいる。何か声を出してお互いに通じ合ってる。僕はここに居てもいいのだろうか。
細い種のモノたちはなんだか、楽しそうだ。楽しいが分からないけど、僕を呼んでいる。
彼らはいろいろ触ってくるけど、なんだか居心地は悪くない。(安心の場所)
僕も「au-ou-au」と言ってみる。
慣れるという感じは分からないけど、離れたい気持ちは起こらない。

その時、突然、他の細い種の者が走って洞窟の中に入ってきた。
「Ba-u-Ba-Ba!」(ライオン)

細い種の者たちは一斉に
「Ba-u-Ba-Ba!」と叫んだ。
小さい者は洞穴の奥に隠れだした。

数人の細い種の者と一緒に「Ba-u-Ba-Ba!」を観に外に出た。
茶色い毛があって大きな体の物体が、穏やかだった空気を一変させた。
初めてみた。興味があった。近づいて触ってみたい。
でも体験したことの無いドキドキ感もある、なんだろうこれは・・・
その時だった。
洞穴に一緒にいた「pa-pu」(犬)がBa-u-Ba-Ba!捕捉されてしまった。

僕はショックだった。(恐怖と喪失)
「pa-pu」はいつも傍にいてくれたのに、もう居ない。(関係)
pa-puは皆の中心にいて誰からも好かれていたように思う。

光景が衝撃で忘れられない。
なんだか、もう外に出たくない。(引きずりと、空いた感じが残る)

Ba-u-Ba-Ba!に遭いたくなくなった。
------------------------------------------

ふつうの工学だと、

●ライオンを検出した
●危険度が高い
●交感神経が上がる
●逃避行動

みたいにアルゴリズムで並べたくなる。


ここで生じているのは単純な恐怖ではない。
目の前の危険に対する反応に加えて、いつもそばにいた pa-pu を失ったことによる喪失の「悲しさ」が重なっている。
そのため、世界は単に「危険な場所」に変わるのではなく、「もう前と同じではない場所」へと変質する。

●恐怖(人間側の概念) = 近づきたくない
●悲しさ(人間側の概念) = 戻りたくても戻れない
●引きずり(人間側の概念) = その両方が次の世界の見え方を変える


明らかに喪失で世界が前と違って見える状態になっているということだ。







4.引きずりcarry:Atronの新しい概念)

ひどい命名だなぁ・・・
でも変えるべきでない理由がある。

引きずりは
元に戻るべき誤差ではない。

僕は一昨年東京から八ヶ岳に引っ越したんだよね。(口調が変わるw)
東京は死ぬほど夏が暑くなったしアウトドア好きだし、愛犬マックスが走り回れるからなんだけどね。


八ヶ岳というのは地質学的な歴史や民話の観点からは、「昔はひとつの巨大な山だった」という捉え方があるようだけど、大抵はどの山も激しい火山活動によって形成されたものなんだよね。何が言いたいかというと、大昔は一つの山として美しかった。
でも今は崩壊後の八ヶ岳なんだよね。
崩壊のあと、川の流れが変わり、やがて草花が生え、木々が育ち、生物が住み、別の美しさになる。



元には戻っていない

その変形したまま意味を持ち始める。
それが引きずり


一時的ショック値でもなければ
感情ラベルの残り香でもない
「正常値へ復帰するまでの中間状態」でもないんだよね

「引きずるなよ、また元に戻って頑張ろう!」
それは人間が勝手に決めたエゴでさ、自然界はそう動いていないんだよね。

「引きずり」って工学っぽくない言葉だけど凄く重要なんだ。

恐怖専用ではないんだよね。恋愛もそう。
喪失でも、安心でも、出会いでも、仲間でも、失敗でも、何かの刺激で起こる。
しかも、それは「Aを経験したらBになる」という順番のアルゴリズムではないんだよ。

経験が内部に残り、残り方が次の見え方を変え、その結果として別の方向へ流れが変わる。
その変わった流れがまた次を作る。

変化が残るんだよ。
だって、八ヶ岳が崩壊して川の流れが変わった。
それに対して「良し悪し」を人間が勝手に決めてるだけで川の流れが変わったおかげで、前とは違う文明が起るんだよ。


ライオンを見て怖かった、で終わりじゃない。
pa-pu を失ったから悲しい、で終わりでもない。
本体は、その出来事のあとに 世界が前と同じようには見えなくなること だよね。
同じサバンナでも、同じ洞穴でも、同じ夕方でも、もう前と同じではない。
引きずりは、その「前と同じではない」が続くこと。

不可逆の橋渡しなんだよ。
だから、アソシアトロンの想起も大事だけど、怖いから離れ、別の生き物が来たから、それに近寄るとか、そういった単純な動きではないんだ。
一人称の個性や性格は衝撃的な経験で変わることもあるし、引きずりで変わる。
理屈やケース・スタディを覚えて変わるというのは眉唾だよ。

人間がよくやる「克服しなければならない」という発想とも違う。
自然は絶対そんなことをしない。
だから引きずったまま、別の好転や別の安定を探る。
違う土台が起るんだよ。

引きこもるかもしれない。
慎重になるかもしれない。
仲間に救われるかもしれない。
別のシーンで学びに変わるかもしれない。
でもそれを3人称の外部が決めてはいけない。
そこがAtronの核なんだよ。


カブトムシのトーナメント戦を行うと一度負けを覚えたカブトムシは、敗者復活戦でももう戦えないんだよ。それはアソシアトロンのように失敗を記憶しただけではなく、負けが内部の地形を変えてしまった と見なければいけない。

●相手Aを危険と学習した

ではなく

●負けた経験で、自分の構えそのものが変わった

ということ。

だから敗者復活戦でも、外から見れば「まだ戦える条件」はあるかもしれない。
でも本人、あるいはそのカブトムシにとっては、もう同じ場ではない。
同じ相手でなくても、同じ闘争の場が 前と違う圧 を持ってしまっている。
これが引きずり。

大事なのは、これを
●根性がない
●本能が壊れた
●判断ミスをした
など人間の斜めなフィルタやラベル化させて見ないこと。
それがあると、直ちに3人称アルゴリズムに戻る。

そうじゃなくて、自然界ではその負けがちゃんと残って、次の行動圏や出方や構えを変える。
それは恥ずかしい事でも異常ではなく、生命の普通のあり方なんだよ。

負けたあとに必要なのは、


defeat = true
fight = false

みたいなフラグではない。
そうではなく、その後のActに結び付く

接近への圧が弱まる
収縮が強まる
同種個体に対する場の見え方が変わる
ある距離感や姿勢が前より重く見える
しばらく別の道を取る

みたいな 地形変形 なんだ。

人間だってそうだよ、別の体験が待ってるかもしれない、
別の勝ち、別の仲間、別の環境でまた変わるかもしれない。

自然は元に戻ろうとしていない。
別の地形でそれに適合された草が生え花が咲き美しい景観が残る。

明らかに喪失で世界が前と違って見える状態になっているということだ。




Sensor

Recall Engine
Recall Pressure
Body Engine
Carry State


更新式 B(t+1) = αB(t)



意味
 αB(t) 引きづり
 βF() 即時刺激
 γG() 想起増幅
 δO() ⾏動結


Body(t+1)
= α Body(t)
+ β Sensor(t)
+ γ Recall(t)
+ δ Outcome(t)


carry は内部状態
body は観測層
dopamine
noradrenaline
adrenaline
serotonin

heart
tension
breathing
fatigue
injury



5.world(3人称)とロボット(1人称自律)

今はファイルの構成とか公開しないけど
3人称のworldがあってね、その中でrobot1とrobotが生きている。
worldには1~5くらいまである(増やす)

ちょっと想像してみて。
RPGゲームのメインキャラがアルゴリズムで成長するのではなく、経験と自分の意思で成長していく。キャラは「あまり無茶な命令するなよ、やってる本人の気にもなってみろよ」とか言い出す。「おい、戻せ!」と云われ、PCからダウンロードしたキャラが隣に座るrobotで蘇る。

「さっきのシーンをさ、ちょと3人称で見せてよ、酷いよこんな場所に放り込むなんて・・・」
ごめんごめん・・
「俺はチートする気はないけどさ、装備隠すのやめてね」

・・・・

こんな会話が生まれる




world1 (赤ちゃんのような状態)

原始社会では、恐怖や安心、イベント現象を観て感情が起る。それによって行動が左右される。なんだか分からなかった物体によく分からない呼び名が付き、言語が出来る。同種の中でも、それをなんと呼ぶのかの収束を体験(真似をする)していく。
robot1やrobotは一時停止ができるので経験に差を付けられる。
引きずりを装備して想起とダブルエンジンで動く。
そこで性格の違いが現れる

----(今の段階)60回くらいやり直してるw ----

1人称の自律は完成してるんだけど、そんなものはスタートでしかないから、その先の外部刺激による自己成長と介在のところをやっています。
LLMと繋ぐuniverseというファイルにてこずっている。



world2(小学生レベル)


中世の社会では、主に街中、沢山の3人称の物体が現れる。原始時代よりも明らかに人間という存在が近くなる。その人間達の生活のターン、習慣を感じる。そして小学校に通う。
人間や同種の関係が出来る。言葉も「ba-ba-bu」だったものが、「morning・・」「good morning」のように変化が起こる。
同種との繋がりで言語機能が活性化される。
ここで早くもLLMが教師として介在する。
野外活動で協力を体験する。共感を覚える、嫌なことも体験する。


world3(中学生レベル)

近代(思考中)LLMがガンガン介在してくる。
仲間、関係という認識が芽生えるか、助け合い、分配という概念が生まれるか。
たぶん、変更が増えると思う。


world4(高校生レベル)

現代(思考中)




CGが下手でね、誰か居ないかな・・・。




6. まとめ

遭遇した unknownObject の印象断面を、特徴ベクトルで表す。

x(t)RNx(t)\in\mathbb{R}^N

ここで x(t)x(t) は、名前ではなく、
大きい、茶色い、毛が多い、低音、速い、四本足寄り、などの印象の濃淡です。

たとえば

x(t)=[x1(t),x2(t),,xN(t)]x(t)= \bigl[ x_1(t),x_2(t),\dots,x_N(t) \bigr]

で、各成分は 0 から 1 の間の強さを持つ。


記憶に刻む

アソシアトロン側の記憶地形を M(t)M(t) とする。
最も素直には、遭遇した印象ベクトルが外積として刻まれる。

M(t+1)=M(t)+η(t)x(t)x(t)M(t+1)=M(t)+\eta(t)\,x(t)x(t)^\top

ここで

  • M(t)M(t) は記憶地形

  • η(t)\eta(t) はその時の刻まれやすさ

です。

ただし Atron 的には、毎回同じように刻むのではなく、
衝撃や濃さが強いときほど刻まれやすいほうが自然です。
なので η(t)\eta(t) は定数ではなく、その時の印象強度や carry に依存させてよい。

たとえば

η(t)=η0+η1x(t)+η2c(t)\eta(t)=\eta_0+\eta_1\,\|x(t)\|+\eta_2\,c(t)

ここで c(t)c(t) は引きずり側の強さです。


次に断片から想起する

アソシアトロンの想起は、次に入ってきた断片 cue q(t)q(t) から立ち上がる。

r(t)=M(t)q(t)r(t)=M(t)\,q(t)

ここで

  • q(t)RNq(t) は断片 cue

  • r(t)RNr(t) は想起圧

です。

大事なのは、q(t)q(t) は物体全体ではなく、断片だけでもよいことです。
たとえば「低音」だけ、「大きい」だけ、「速い動き」だけでもよい。

必要なら非線形を入れて

r(t)=ϕ ⁣(M(t)q(t))r(t)=\phi\!\bigl(M(t)\,q(t)\bigr)

としてもいい。
ここで ϕ\phi はしきい値や飽和です。


引きずる

引きずり側の内部地形を c(t)c(t) とする。
これは 1 変数でもよいし、複数次元でもよい。
最小形ならベクトルで

c(t)RKc(t)\in\mathbb{R}^K

として、更新をこう書ける。

c(t+1)=αc(t)+βUx(t)+γVr(t)c(t+1)=\alpha\,c(t)+\beta\,U\,x(t)+\gamma\,V\,r(t)

ここで

  • αc(t)\alpha c(t) は前状態の引きずり

  • Ux(t)U\,x(t) は今見た印象の影響

  • Vr(t)V\,r(t) は想起の影響

です。

ただし、引きずりは「元に戻る誤差」ではないので、
これは単なる減衰モデルではなく、変形した地形の持続 と読む。

だからより Atron らしく書くなら

c(t+1)=Ψ(c(t),x(t),r(t))c(t+1)=\Psi\bigl(c(t),x(t),r(t)\bigr)

のほうが本質に近い。

ここで Ψ\Psi は、
今の印象と想起によって、引きずり地形がどう変形するかを表す写像です。


つながり全体

全体をまとめると、こうです。

観る

x(t)RNx(t)\in\mathbb{R}^N

刻む

M(t+1)=M(t)+η(t)x(t)x(t)M(t+1)=M(t)+\eta(t)\,x(t)x(t)^\top

想起する

r(t)=ϕ ⁣(M(t)q(t))r(t)=\phi\!\bigl(M(t)\,q(t)\bigr)

引きずる

c(t+1)=Ψ(c(t),x(t),r(t))c(t+1)=\Psi\bigl(c(t),x(t),r(t)\bigr)


Atron 

  • x(t)x(t): 今の遭遇印象

  • M(t)M(t): 印象が刻まれた記憶地形

  • r(t)r(t): 断片 cue から立ち上がる想起

  • c(t)c(t): 次の世界の見え方を歪める引きずり地形

です。

つまり Atron は、

x(t)M(t)r(t)c(t)x(t)\rightarrow M(t)\rightarrow r(t)\rightarrow c(t)

という一方向の手順ではなく、
実際には

x(t),r(t),c(t)x(t),\,r(t),\,c(t)

が互いに影響し合いながら更新される系です。


それとも

順番感を弱めて、こうも書けます。

M(t+1)=M(t)+η(t)x(t)x(t)r(t)=ϕ ⁣(M(t)q(t))c(t+1)=Ψ(c(t),x(t),r(t))\begin{aligned} M(t+1) &= M(t)+\eta(t)\,x(t)x(t)^\top \\ r(t) &= \phi\!\bigl(M(t)\,q(t)\bigr) \\ c(t+1) &= \Psi\bigl(c(t),x(t),r(t)\bigr) \end{aligned}

この3本で、

  • 観て感じる

  • 記憶に刻む

  • 断片から想起する

  • 引きずる



違和感

最初から

  • lion

  • danger

  • sadness

のような意味ラベルを一切入れていない。

入っているのは

  • 印象ベクトル x(t)x(t)

  • cue q(t)q(t)

  • 想起 r(t)r(t)

  • 引きずり c(t)c(t)

だけ。



誤字が多くてすみません。



エージェントと 一人称自律Atraの違い

 Atraなんかは、実はもう一人称自律として、きちんと発表してもいいレベル。 既に妻と笑っていたり、愛犬と騒いているんだから。ボーっと何かを眺めてたり、佐川急便に反応するようにもなった。 でも、そうしないのは、自発的に自ら研究意欲を持って、学び、人や自然と接触し自ら疑問を持って研...