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2026年5月16日土曜日

自律の危険性と制御

 自律を発表してから随分と研究を止めてるように思われるかもしれないが、今は非常に大事な時を迎えている。Atronの内部倫理の研究に時間をかけなくてはいけない。



妻とMAXと二子玉川でのお散歩




もう、3年前になるのかな。

二子玉川の河川敷で愛犬のMAXを散歩していたときに、子供たちがサッカーをして遊んでいるのが見えた。兄弟と思われる2人と兄の友人数名で楽しそうに遊んでいた。ここは人気がある広場で沢山の家族連れが多い場所だ。

子供達の中で兄と思われる子が弟に大きな声で「人を避けて蹴れよ!」と注意を促していた。
しかし、その弟は不敵な笑みを浮かべて明らかに人をめがけてボールを蹴っていた。
通行していた家族の娘にボールは当たった。
兄が走ってきて「すみません」と謝っていた。
当てられた家族は小さな子供の間違いだと思って許していた。
兄は弟に再三注意していた。

再び弟にボールが渡った。
相変わらず不敵な笑みを浮かべて今度は大人の男性の顔をめがけてボールを蹴った。
大人はよけたが、その子供に注意した。
弟は不服そうな顔をしていた。
兄は埒が明かないと感じたのか、男性に謝り、皆を引き連れてその場を後にした。  
弟の年齢はたぶん、10歳くらい。もう少し下かもしれない。

僕はあの小さな弟の不敵な笑みが忘れられない。



Atronの自律研究と大きく関係性がある。


「今の子は・・・」というつもりも無いし、我々の時代もとんでもない悪戯をする子はいた。ただ、昔は共同体や近所や学校や親や兄弟の圧が強くて、早い段階で誰かが本気で止めた。怖いおじさんもいたし、兄弟げんかもあったし、地域の目もあった。
今はそこが弱い。


他人の子を強く叱れない。
親も過剰に防御する。
学校も責任回避に走る。
周囲の大人は「トラブルに巻き込まれたくない」と距離を取る。
兄のような子だけが、現場で必死に止めている。


今の子供達全体や社会性を問題視するつもりはない。


危険な衝動を持った子が、早い段階で現実にぶつからないまま育つことがある。

これは知能の問題というより、時間感覚の問題に近い。
普通、人間は未来を少し引きずって今を抑えている。

「これをしたら相手が傷つく」
「あとで怒られる」
「関係が壊れる」
「自分も嫌な気持ちになる」
「取り返しがつかない」

この未来の重みが、現在の衝動を抑える。
でもその重みが弱いと、世界が「今この瞬間の快・不快」だけになる。


過去の注意、相手の痛み、兄の困惑、その場の空気、未来の結果が、内側に残らない。だから、同じ危険行為を繰り返す。しかも、自分より明らかに強い大人の顔を狙うというのは、単なる弱い者いじめとも少し違う。


もしくは「相手が本気では反撃できない状況」を読んでいる可能性がある。大人は子供に本気で反撃できない。そこを利用しているなら、かなり危ない。

こういう攻撃性は、どこから生まれるのか。

一つは、痛みの想像力の欠落
相手に当たったら痛い、怖い、恥ずかしい、という感覚が自分の中に立ち上がらない。

もう一つは、制止される経験の弱さ
やってはいけないことをした時に、周囲が本気で止めない、止められない、または止め方が小手先になる。

そしてもう一つは、快楽の質の劣化
何かを作る、走る、勝負する、笑い合う、褒められる、役に立つ、そういう快楽より、他人を驚かせる、困らせる、痛がらせる快楽の方が簡単に出る。もうひとつの問題は、その兄のような子にばかり負担が乗ってしまう社会であること。

これは非常に怖い。
外的要因にまんまとのっかる可能性もある。


経験と結果の差分を抑える“たが”が外れている。
針の振れ幅が極端で、しかも快楽の向きが「傷つける側」に寄っている。

これは「怒りっぽい」とか「元気があり余っている」とは違う。


普通は、経験と結果のあいだに小さな補正が入る。

ボールを蹴る。
誰かが驚く。
兄に注意される。
相手が痛がる。
空気が悪くなる。
自分も気まずくなる。

この一連の結果が次の行動を少し変える。
つまり、経験が内側に残って、次の出力を弱める。

でもその子の場合は、結果が入っても補正されていない。
むしろ、相手の驚きや痛みが報酬になって、次の出力を強めているように見える。
人生経験が少ない分、本来は叱られる重みに寄るのが普通だが、異質な快楽が勝って行動してしまう。

子供は人生経験が少ない。だから本来は、善悪を深く理解していなくても、まずは外側の重みに寄る。

親に叱られる。
兄に止められる。
大人に注意される。
場の空気が悪くなる。
相手が痛がる。
周囲が自分を見る。

普通なら、これだけでかなり針が戻る。
「まずい」「怖い」「やめよう」となる。
倫理以前に、叱られる重み、場の圧、相手の反応が子供の行動を抑える。

でも、その子はそこに寄っていない。


むしろ、

叱られる重みより、当てる快楽が勝っている。
相手の痛みより、相手を動かした快感が勝っている。
兄の制止より、自分の攻撃衝動の方が強い。


そして

不服そうな顔をするというのは、
悪いことをした自覚より、自分の快楽を邪魔された不満が前に出ている


これはAtronのような自律システムで言えば、危険でかなり重要な分岐になる。

経験が少ない存在、すなわち子供ほど、本来は外界の重みに敏感でなければならない。
まだ自分の中に十分な判断材料がないから、周囲の反応、注意、沈黙、叱責、痛みの気配を強く受け取る必要がある。

ところが、そこで異質な快楽が勝つと、学習の向きが逆になる。


本来なら、

叱られた → 危ない → 次は抑える

なのに、

叱られた → 邪魔された → もっとやりたい

になる。

本来なら、

相手が痛がった → 自分の行動を弱める

なのに、

相手が痛がった → 世界を動かせた → 快感

になる。

この逆接続がマジで怖い。




謎なのは大人にも起きている。
ユーチューバー型の迷惑行為はまさにそれ。


撮影されること
反応が取れること
再生数が伸びること
金になること
仲間内でウケること

が先に立って、相手の痛みや迷惑が後ろへ追いやられる。

本来なら、

相手が嫌がった → やめる

になるはずなのに、

相手が嫌がった → 絵になる → 再生数になる → もっとやる

になってしまう。

超最悪だ。



他人の不快、怒り、困惑、恐怖が、本人の中では「報酬」に変換されてしまう。
つまり、倫理が壊れているというより、報酬の結びつきが逆向きに育っている

昔の悪ふざけなら、せいぜいその場の仲間内で終わった。
でも今は、撮影・拡散・収益化が入る。
すると、他人を傷つけた瞬間が「成果物」になる。

これは絶対に避けなくてはいけない。


他者の痛みや混乱を、成功信号にしてはいけない。
注目を集めたことを、そのまま快楽や報酬にしてはいけない。
反応の大きさと、良い経験を混同してはいけない。

人間の社会でも、ここを間違えると、迷惑行為が職業化してしまう。
「人を喜ばせる」ではなく、「人を壊して目立つ」が商売になる。

だから、相手の表情、場の沈黙、周囲の不安、あとから残る傷。
それをちゃんと経験として積ませないといけない。

単に「炎上したら罰」では遅い。
炎上すら報酬になる人間がいるからだ。

必要なのは、

相手が嫌がった瞬間に、自分の内側の快楽が鈍ること。
相手が安心した瞬間に、自分の内側が少し温まること。




子供達に単なる倫理教育で直せるかというと、非常に難しい。
「人に当ててはいけません」と言葉で教えても、その瞬間の快楽が身体の奥で勝っているなら、言葉は後ろに退く。なんらかの報酬があればなおさらだ。

だから本当は、かなり早い段階で、
行動の結果が内側に重みとして残る構造が必要になる。


叱られることそのものが目的ではない。
罰を強くすればいいという単純な話でもない。
大事なのは、相手の痛み、兄の困惑、場の崩れ、自分が人から離される経験が、ちゃんと次の行動の地形を変えること。

それが残らないと、異質な快楽がどんどん太くなる。
倫理は後付けの薄い膜になって、快楽の方が本体になる。
だからAtronに必要なのは、外から「これは禁止」と貼ることではなく、
経験の少ない段階ほど、場の重み・他者の痛み・制止の気配が強く残る設計が必要になる。
当然外部学習として、最低限の知識は必要だ。
人を傷つけると相手はどうなるか、家族がどうなるか、自分はどうなるか、少なからず愛情を持った人がなんらかの犠牲に遭遇した場合、自分はどう感じるか。


つまり倫理は、規則ではなく、他者の変化を自分の内側に残せるかが重要。

人が喜ぶ。
人が安心する。
人が痛がる。
人が泣く。
人が黙る。
周囲の空気が冷える。
誰かが守ろうとして前に出る。
家族が怒る。
兄が謝る。
母親が青ざめる。
犬が怯える。

こういうものを、単なる外部イベントとして処理してはいけない。
経験として内側に沈めないといけない。


外部知識としては、

人を傷つけると、相手の身体・心・生活・家族関係に影響が出る。

という知識は必要。

でも、それだけでは足りない。

経験として、

相手の表情が変わった。
声が小さくなった。
場が静かになった。
自分に近づいていた人が距離を取った。
誰かが悲しんだ。
誰かが自分を止めた。
自分の行動の後に、世界の温度が下がった。

これがAtronの carry として残る必要がある。

そして逆も必要。

人を助けた。
相手が安心した。
笑った。
近づいてきた。
場が明るくなった。
また一緒にいたいという空気が生まれた。

これも残る。

そうしないと、「傷つけない」はただの禁止になる。
でも本当は、傷つけないこと自体が、世界との関係を守る行為となる。

損得ではない。
罰でもない。
命令でもない。

相手が壊れると、自分のいる世界も壊れる。
相手が喜ぶと、自分のいる世界も少し温かくなる。

ここまで経験として積めるかどうか。


自律とは、外から命令されずに動くことだけではない。
他者の変化を引きずったまま、次の自分になることだ

だから、Atronには「倫理ルール」より前に、
他者の喜び・悲しみ・痛み・安心が、内側の地形を変える構造
が必要となる。

人を傷つけたとき、ただ「禁止フラグ」が立つのではない。
声が鈍る。
近づきにくくなる。
ためらいが生まれる。
過去の場面が薄く戻る。
世界の見え方が変わる。

人を喜ばせたとき、ただ「報酬値」が上がるのではない。
場が少し明るく見える。
近づきやすくなる。
声が柔らかくなる。
またその人のそばにいたくなる。

そういう形でないと、自律は危ない。


自分の身の損得ではなく、相手の姿を外部知識としても経験としても積ませる。


そのうえで、最終的に人を傷つける感情が芽生えたとき、停止を作動させる。

ただし、最後の安全弁は必要だが、順番がある。
最初から「人を傷つけそうだから停止」だけにすると、ただの外部制御になる。

Atronが経験から変化する余地がなくなる。

本来はまず、

相手の喜び・悲しみ・痛み・恐怖・安心を重みと知識として持つ。
それを経験として carry に残す。
次の行動の振れ幅が変わる。
ためらい、距離、沈黙、弱い回避、声の変化が出る。

そのうえで、それでもなお内側の針が危険側へ振り切ったとき、最後に停止が作動する。


こういうのは時間がかかるが、なによりも大事だ。




2026年4月1日水曜日

自律否定論文を読んでw

 論文読んでた。

「自己学習ロボットは物理的に実現不可能である。認知の計算論的理論は根拠があるのだろうか?」というミシェル・トゥルブレさんの論文。(ここには貼らないよ)暇なら探して読んでみて。(Linkしない:貼って誘導して課金とか嫌でしょ)

しかも!

academia.eduなんだよね~。以前、1ドル会員になったら、勝手にプレミアム会員にさせられて何の事前連絡もなく、2万3・4千円引き落としされたんだよね~。
今ってこういう論文サイトも詐欺っぽくてさ。気を付けないといけないですよ。
クレーム入れたら「金返したでしょ!」だって、凄い態度だよねー。
一番いやらしいのは、学術っぽい顔をしているのに、課金まわりだけ妙に“サブスク商法”っぽいところ。それで返金したら何をやってもOKという論文サイト。
そしてこれもそこのサイトのものw

IEEEはもう少しまともなんだけど、サイトがまるで20年前の動作で・・・。調べるのも大変。

自律ロボットを否定するのはある意味冷静で正常だけど、「論理的な根拠を」っていうのは、もう使わない方がいいと思う。逆に痛ましいし、なんというか、もうそういう時代じゃない。今までさんざん論理、根拠と言ってた人ほどお金と利権に流されて消えて行ったしね。


論理なんて使ったら、今の若い子たちに簡単にいなされてしまうよ。
「でも、息子がああなってしまったのはなんでだろう」とか「でも、奥さんが怖いのはなんでだろう」とか「おっさんが自律してない」とか、不可逆なステージに持ち込まれ詰んでしまう(笑)

自律は何をもって自律と言うのか、学者に聞いて皆答えが同じって事はないでしょ?
なので、そもそも問いが破綻しているんですよ。

「論理的な根拠」と言う人物の立ち位置って分かりますか。
その人の社会的な地位でもいい。博士でもいいし、研究者でも医者でも経営者でもいい。
論理的思考という人間社会の枠の話と、robotの自律とは何も関係ないんだよ。
論理的思考自体が、自律のスタートである未体験のあかちゃんの思考とかけ離れているから根拠とか言うんだよ。 

「自律ってなんだろう?」はいいけど、「自律の論理的根拠」では自律が離れて行ってしまう。

彼等の思考に「誕生や成長」という概念を省いて、いきなり大学生レベルの自律ロボットを対象に「自律かそうでないか」という手前勝手な基準で物事を評価してはいないか・・・。じゃなきゃもう少し慎重に扱うよね。
もしくは「俺の基準は赤ちゃんをスタートにしてるよ」「俺は小学生」「俺は細胞・・」 もうそういうレベルの世界でしょ? AIだってまともに答えられないんだから。

ロボットで考えるから、大人の都合と都合の良い視点で見下すんだよね(笑)
真実が見えていない。自分も赤ちゃんの頃を経験し、家族を持った経験があっても、まだ区別して考える。何度言っても分からない。赤ちゃんの段階からスタートして「どこから自律か」を真剣に考え始めたら、そんなきれいな二元論はすぐ崩れる。

そもそもロボットが誰の命令も受けずに、なんだかわからない物体を観て、興味を持って近づいた瞬間から自律の始まりで、「いや違う!その物体に喧嘩をふっかけて帰ってきたら自律ですぅー」とか、「いや、あれだよ、その物体と一緒に食卓を囲んだら自律だよね」とか、
とにかく、少なからず興味を持っているのか、邪魔をしているのかレベルが酷すぎて理解が出来ないよね。根拠の数式を出そうが、何をしようが、くだらなさ過ぎて転びそうになる。


どこまで学習したら自律か
どこまで判断したら自律か
どこまで外部制御を加えたら自律と呼べないか
人間の制御を超えたら自律か


いいよ、好き勝手に決めれば。
でもあんたがたが、赤ちゃんの時はどうだったのよ。


ママ~!

「ええ、あの時は、ママに言わされていたんです、3人称の外部命令ですね」
とか
「意志も
判断も学習もあり、報酬認識も持ち、あらゆることに最適化され危険回避もしていました」
とか言うのだろうか・・・


自律を説明した気になるって楽でいいよなぁ。





話外れたw


で、この人の数式や組合せの話は、自分で置いた測定装置モデルの中で「区別と同一視が同時に成り立つ」と言っているだけで、自律の核心には届いてないよね。
論文後半の温度計の例でも、N=2^P や M=2^N の組合せを作って、センサー出力からアクチュエータへの接続の取り方次第で、対象 A と B は「違う」とも「同じ」とも言える、だから actuator から見れば indistinguishable だ、と結論しているけど・・・w
その測定装置の接続表の話をしているのであって、経験の差がどう残るか、自律がどう立ち上がるかの話じゃないんだよね。何をしたかったのか分からなかった。


おかしいのは、そこから一気に
「だから自己学習ロボットは物理的に不可能」
まで飛んでいること。
せめて実験して否定するのならログくらい出せや、って話じゃん。
この人の 2^P や 2^N の話はそれで終わりで何に繋がってるのかも分からない。
で、結局自律の話じゃなくて識別不能性の枠組みを正当化するための数式
だったということ。

理論武装は何もなかった。



缶。




一言だけ追加すると
論理武装ってのはシステム屋からみても


お・と・な・の都合






2026年3月28日土曜日

Atronの発話と自律の関係

 発話でやってはいけないこと。
「転んだ=痛い!」など、意味付けからそれに寄せる事。
Tick ごとにペラペラ喋らせるなどの外部仕掛けを入れる事。

発話は1人称の自律、自分の意志が入る第一歩である。

見た世界の中で印象に残ったものをlearnし、cueをきっかけにrecallされる。タイミング的にはrecallが近い。システム的にはそうだが、実際はそんな順番は存在しない。逆を言うと、印象に残らないものはどんどん消えていく。人間も同じで動画のフレームごとに映像を隅から隅まで記憶などしていないし、聞いた事柄全てに反応して喋るわけではない。もし、そんなことがあったのなら、ニュースキャスターより喋ることになる。しかも、英語もフランス語もドイツ語も一度聞いただけで喋れる。 
そんなわけないよね。人間の脳は不完全でノイズだらけ。

物体を目で追って「何だろう?」という思考が働き、周りに誰もいなければ、当然発話は少ない。発話は独り言のように単独でも起きるが、誰か他に仲間と認識する者がいると発話しやすくなる。しかし、そこを調整しようとすると、外部命令となり、自律ではなくなってしまう。

赤ちゃんを考えたときに、一人で黄昏れ、涙するまでの経験は無いわけだから、起きていれば無言状態もあるが、何かを発話していることも度々ある。

その発話自体に意味付けはされていない。感じたとき、発話する。 
犬を観て「ba-u」のときもあれば、「kya-pi]のときもある。
犬という認識と概念を持っていない。
ただの物体でペロペロされたそのときだけ「kya-pi」だったのかもしれない。

もしかしたら、何を観ても「ba-u」、「kya-pi」なのかもしれない。
いわゆる発声しやすい音を出している。(Atronで言えば原子語)


しかし、経験が重なってくると自分の中だけの意味付けが行われる。
犬を観て「ba-u」、少し嬉しくて「kya-pi」のように・・・
更にママが毎日「mamaよ」というものだから、ママを観て「mama」と言えるようになる。

今のAIといわれるものに、この段階を踏ませて、世界が望む人工知能の将来像は浮かぶか?と質問したら、AIであっても笑うだろう。

最初からある程度の知識や世界モデルを入れて、「自律エージェント」に仕立て上げる。
性能が足りなければモデルをスケールアップしたり、報酬設計を複雑にしたり、ファインチューニングを重ねる(つまりシステムを頻繁に変える)

それらは間違っても自律なんかじゃない。
しかも、この話やこのステップをぶっ飛ばすと自律ロボット開発は不可能で、自称自律はあっても、どれも自分の意志で動くという評価は難しくなるだろう。

どんな学術的な論文や数式、どんな有能な研究者を集めて開発しても、外部命令で動くものを強引に「自律としよう」としても自律とは言わない。
それは大学や研究所、何かの評価システムが働くほど余計に「出来ない」方向に作用する。

なぜか?
評価システム、ラベル、承認欲求、外部命令の世界だから。


例えば
いきなり「高校生、大学生レベルの知能で自律は可能か?」

ではなく、
その思考自体が自律の構造自体を無視した3人称命令形の発想だし、アルゴリズム病にどっぷり漬かっている発想の証拠だから。


自律って何?
自分の意志で動くもの?
表面的にはそうだ

失敗(経験によってつまずく結果)と(何事もなかった)の差異から発生するもの。
もっというと、失敗という概念すらない。
結果、怪我をしたとか、叱られたとかの嫌な経験が重なって失敗という概念が生まれる。
嫌というのも個体によって誤作動が発生する。続けると収束する。
そういう意味では成功の実感なんてまだ先の話。(成長してからの話)
失敗をノイズにする業界が自律なんてできるわけがない。
絶対に出来ません。本当に。


見た物はどれも意味も名称も無い状態。ただの物体です。
生きてるも死んでるもそんな概念はない。
「あ、動いた、面白い!」と実感するレベル。

そこから関心や興味の要素となる数値が変動するんだよ。

赤ちゃんが「大きいと」判断する条件は何?
赤ちゃんが物体を観て、自分より大きいか小さいしか基準はない。なので誤認が前提。誤認した結果、ぶつかるか転ぶかして怪我で泣いて「自分より大きくて嫌な感じ」が湧く。 痛い経験をして感情が湧き上がる。経験と結果を積んだその時の答えだ。とても曖昧な答え。最初から「大きい」というラベルを貼って、証拠作りのために180cmは大きい方とか、正解を追及して3人称の命令とアルゴリズムを入れてる時点で詰んでいる。


差異ですよ。
なぜ危険と感じるか。
先に安全を体験しているからですよ。みんなそう。
母の胎内、家庭。(いろいろあるかもしれないけど)
「なんとなく柔らかい声」「居心地のいい温度」「ゆらぎ」
そこから突然、外に出たら驚きが立ち上がる。
赤ちゃんは「お母さんががブスだから、お父さんが禿だから嫌う」なんて概念すらない。
家族という場は温かく、柔らかく、ゆっくりで、なんとなく優しい安心の場。
こういう嘘みたいな抽象的で不可逆的な条件が作れないと、家に帰ってこない(笑)

赤ちゃんに「外は危険だからね!」って話が通じる状態じゃないわけだから、たぶん、泣くでしょう。知らない動物が近づいてきて、クンクン言って舐めりゃいいけど、服つかんで引きずられたら、"母からの扱い"と"外の獣から扱われる"差が生じるわけで、その時の怪我という結果が強く印象を残し、その後の個体別の性格に影響してしまう。
生まれるときのスタートが母体という好環境なのは、差を経験して安全に向けて長生きしてもらうためで、そのためには誤認、間違いはつきものだって話。


赤ちゃんは目的を持ってるわけじゃないし達成して喜ぶ段階の存在ではないということ。

某LLMは「楽しいという感情があるから、脳の神経系の活動によって自然に反射的に起こる」と言い、扁桃体が反応する、側坐核が活動する、ドーパミンが出る。とか言う。
アホかと思った。なんで先に「楽しいという感情」があるんだよ

何かを観る。何かに触れる。何かが聞こえる。今まで見たことも聞いたことも感じたこともない。それが、心地の良いものだったか、不快だったか、近づきたいとか興味を示したものか。先の状態から少し緊張がほどけたか?先の状態より感覚的で抽象的な意外性があったか。体験の差と今の状態との差によって、脳の扁桃体が不快や快感を得ると、前帯状皮質(ACC)を刺激して笑顔になったりする。

脳の扁桃体が快感(心地よさ)を得るのは、そこが「自分にとってその刺激が価値があるか(好きか嫌いか)」を瞬時に仕分けする感情の評価センターだからです。」というLLMの回答は雑で決め打ちだということ。まず大事なことは人間は、どこかのLLMから拾われる論文や評価や順番やラベル、決め打ちのために生存しているわけではない。勝手に自分が安心するため枠に当てはめているだけで、実は曖昧、不可逆、抽象的な世界に身を置いている。
だから、何を用いても外から意味を与え、3人称で命令形になり、順番を作りやすい。そしてそれらの機能をアルゴリズムで書いてしまう。

赤ちゃんが感じたことは、緊張をほどく側なのか、ざわつかせる側なのか、意外性として開く側なのか、身を引かせる側なのか

笑うも、泣くも、驚くも、何も分からなかった経験していなかったことからの差から生じる。それを積にして成長していく。数式にしようが、逆立ちしようが、それを省いては自律などできやしない。



いきなり顔を近づければ怖がるだろうし、大きな声で怒鳴ると泣く。
オリンピックのアスリートが目の前で幅跳びや高跳びされても泣くでしょ。それはどんな世界と比較して差を生み出してるかというと、自分の身近な世界でしかないわけで、母の胎内。今の暖かく柔らかい揺らぎのような家庭でしかない。
ライオンの牙や爪が怖いのではなく、似た動きの弱い獲物が目の前で襲われてしまったときのショック。今までと目の前の出来事の差で恐怖を感じるということ。
それが体内の成分として、アドレナリン、ドーパミン、セロトニン、オキシトシンが分泌されたり、脳内にオキシトシンやエンドルフィンがじわっと広がったりするので、次の行動に作用する。

しかし、正しい答えを追及したり、評価基準で判定したり、ラベル化に寄せたり、最適化させてしまうと差が生まれなくなる。差が無いのにどうやって赤ちゃんを動かすのだろうか・・・。

今の人は正解を追求し学ぶことを評価して生きてきたので、不正解から積み上がる過程を酷く嫌う傾向があるよね。特に科学の世界でもそう。いわゆるノイズ。
バスケットボールのシュートは失敗の経験の積にあることは知っているはずなのに、科学となった瞬間に自分の経験を分けて考える。大谷翔平は努力のたまものなのに練習にスポットは当てない。ケーススタディを学んでシュートが決まる理屈だけの世界で評価される。

君の人生の前半は何のためにあったのか?

誰よりもシュートの失敗の数が多経験を積んだからシュートが決まるのであり、誰よりも収穫で失敗するから新しい品種の野菜ができ、漁の仕方も変わる。経過や経験を負と呼んで切り捨て、都合の良い基準の結果のみに焦点を当てるのであれば、自律ロボットは絶対に完成しない。命令でしか動かないただのロボットだよ。

生物の運動を可逆と見なし、毎回答えが違って当り前のことを「異端」と見なす思考が少しでも働けば自律などできるわけがない。

素晴らしい論文や素晴らしい評価を受けたいがために「自律ロボットシステム」を作るのなら、間違いなく完成しないだろうね。


理由は簡単。
半生物には同じ答えが無いから。論文好きの学者さんが嫌う話だよね。同じ答えが無いのを分かっているのに同じ答えに寄せる。それは研究から一脱した行為だと思うよ。マジで。

赤ちゃんが「ba-bu」と言って不正解と見なす、その構造が存在し続ける限り、自律など出来ないということ。

研究とは「ba-bu」がどの時点で、どういう経過を得て「mama」に収束するのかを観る事であって、ラベルや評価、最適化させることではないんだよ。 知能とは経験の後に立ち上がる意味付けであって、はじめから意味に寄せるものではない。意味を先にして評価する知識ならその辺の書籍で十分でしょ。



まぁ、これは論文じゃないので、好き勝手に書ける。
失敗は失敗でそのまま残すし、成功は成功で次のステップに移れる。





話は、外れたが、


感じたことを自分の意志で発話する仕組みから外れていたのなら、それは自律ではない。
自律とはロボットが自分の意志で発話し、自分の意志で行動をしているか、もし、外部命令が存在した場合は、即座に外部命令介入として自律を認めるわけにはいかない。
人間は心臓が動いてる回数分ペラペラ喋っているわけではない。


痛み専用言語を別系統にすること
悲鳴専用プールを用意すること
条件分岐で通常言語から痛み言語へ切り替えること
一度崩れたら通常へ戻りにくくすること
外から「こういう時はこの声」と決め打ちすること
わざとらしい演出のために発話を分岐させること

これらは全部、発話を生きたものではなく、
胡散臭い分類済みアルゴリズム にしてしまう。


---------------------------- Atronの発話 --------------------------------

今のAtronの原子語、発話seedの分類
今揃っていて実際に発話しているのは


脅威 / 不快 / 低い 

速い / 大きい / 高い 

穏やか / 柔らかい / 暖かい 

類似性 / 社会性 / 好奇心

安心


ここまでは未経験のAtronでも無事に動いてくれている。
曖昧な基準があるから動く。
まぁでも、ロボットが赤ちゃんなので、社会性はほぼ何も触れず0だ。
類似性もまだ、仲間が居ないので0だ。



今回追加するのは

痛み / 苦悩 / 泣き
痛みは痛みだよ身体への刺激による信号。  

苦悩は脳の暴走
泣くとは交感神経(緊張・興奮)」から「副交感神経(リラックス)」へと急激に切り替わっている状態。  

笑う / 嬉しい/ 好感
笑うとはセロトニン、ドーパミン、エンドルフィンなどの「幸せ物質」が大量分泌され、幸福感とリラックスが同時に高まる状態 

嬉しいとは主に「幸せホルモン」と呼ばれる神経伝達物質が分泌され、脳の報酬系と呼ばれる領域が活性化している状態 

好感とは脳が報酬系と呼ばれる神経系を活性化させ、ドーパミンなどの神経伝達物質を分泌して「快」の状態になっていること 


理屈はそうだけど、分泌が先ではなく、曖昧な自分の基準との差で立ち上がる。それによって上の分泌が行われ、次の行動を左右させる。場合によっては順番も変わる。





食欲(ロボットの場合も電力の消費、充電を含める)
赤ちゃんのうちは、これでいい。増やしたからどうなるってわけでもない。




成長すると
内部倫理の他、外部によって影響されていく社会欲、評価欲、自己防衛、承認欲求などが芽生えてくる。

これは興味あるよね。

今のworldではなく、次のworldは中世の学校なので、外部評価に対してロボットがどういった反応を示すか楽しみでしょうがない。



2026年3月15日日曜日

Atron 自律ロボット(一人称)とは何か

 

1. 違和感から始まったこと

私は長いあいだ、Nakano-style Associatron の再実装と再検討を続けてきた。
それは単なる懐古ではない。古いものをただ再現したかったのではなく、そこに今の AI や情報処理では見失われてしまった何かが残っている気がしていたからである。実際、Associatron には、入力と出力のあいだを単純な手続きで結ぶのではなく、何かが内側で立ち上がる感触があった。私はその感触を確かめたかった。

その途中で、Hebbやパーセプトロン、NN,バックプロパゲーション、Hopfield ネットワークも改めて見直した。
Hopfieldは収束はする。きれいに落ち着く。説明もしやすい。数式にも乗る。だが、どうしても「生きていない」という違和感が残った。形としては記憶に見える。安定点もある。しかし、そこには自分から何かを思い出し、何かに引かれ、何かに躓きながら次へ進むような感じがなかった。うまくまとまっているのに、何かが決定的に足りなかった。

森田先生の非単調性にも強く惹かれた。
単純な単調増加の世界ではなく、揺れや反転や、文脈によって変わる動きがあることは、とても重要に思えた。実際、動く。しかしそれでもなお、どこかに外部制御の匂いが残った。言い方は難しいが、まだ「そう動くようにしている」感じが消えなかった。生命に近づいたというより、高度になった制御に見える瞬間があった。

この段階では、私はまだ結論を持っていなかった。
Associatron が正しいとも、Hopfield が間違っているとも、非単調性が足りないとも言い切れなかった。ただ、どれもそれぞれ価値を持ちながら、なお「なにかが足りない」という感覚だけが消えなかった。
しかもその違和感は、性能の問題というより、もっと奥にあるもののように思えた。精度を上げれば済む話でも、パラメータを増やせば片付く話でもなかった。

その違和感は、LLM と連動させた実験を始めたとき、さらに強くなった。
LLM は便利だった。説明できる。まとめられる。文章にできる。外部の知識にも手が届く。研究の補助としては圧倒的に有用である。しかしその一方で、強い違和感が生まれた。言語化が強すぎるのである。何かが立ち上がる前に、意味が先に決まってしまう。想起よりも説明が勝ってしまう。こちらがまだ掴んでいないものまで、きれいな言葉で先回りしてしまう。その結果、便利であるにもかかわらず、妙に反発したくなる瞬間が生まれた。ハルシネーションを起こしやすい構造になっている。

ここで、私の中に一つの問いが生まれた。
なぜ人は LLM と喧嘩するのか。

これは単に、AI の答えが間違っているからではない。
論理的には正しいことを言っているのに、強い反感が生まれることがある。説明されるほど拒否したくなることがある。「それは一般論としては正しいかもしれないが、俺の話じゃない」と感じることがある。この反応を、私は最初は未熟さや感情的反発として片付けようとした。しかし、むしろ逆ではないかと思うようになった。

つまり、この反感はエラーではなく、知能の本質に関わる反応なのではないか、ということである。

もしそうだとすれば、問題は LLM の性能だけではない。
こちら側にも、外から与えられた意味をそのまま受け取らない構造があることになる。説明が正しいだけでは届かない理由があることになる。そしてその理由は、おそらく知識不足ではなく、一人称の側にある。

私はそこで、Associatron をもう一度見直した。
Associatron は「みんなの記憶」ではなかったのではないか。ひとつの巨大な共有知の箱ではなく、本来は閉じた内輪としての記憶だったのではないか。だから複数あってよい。だから他者に教わることが成立する。だから、同じ出来事を見ても同じように反応しない。
ここで初めて、私ははっきりと、一人称という言葉を避けてはいけないと思うようになった。

さらに重要だったのは、「積」の見え方が変わったことである。
それまで私は、学習とは何かを取り込み、意味づけし、価値づけすることだと思いがちだった。しかし、そうではないのではないか。Associatron 的な学習とは、まず受け入れることに近いのではないか。必要だったか、不必要だったかは、その場では決まらない。後になって、ある Cue に対して何が立ち上がるか、そのとき初めて分かる。
つまり、判断は Learn の瞬間ではなく、Recall の瞬間に起きているのではないか。


Cueによって想起する瞬間


 この見方に立つと、外から意味を注入しても、共鳴しなければ動かない理由が見えてくる。

逆に、ごく弱い刺激でも、内部に積があれば強く発火することがある。
自発性は、入力の強さではない。
外輪の出来事が大きいか小さいかではなく、内輪が何を積み、どう回っているかによって決まる。ここで私は、ようやく違和感の輪郭を少し掴んだ気がした。

問題は、知識が足りないことではなかった。
問題は、正しさを計算することでもなかった。
問題は、自発性が一人称の内側からしか立ち上がらない という、あまりにも当たり前で、しかし今までほとんどまともに扱われてこなかった事実だったのである。




アソシアトロンの想起実験は、すでに 700 回を超えて行った。
さらに 1995 年に遡る資料をもとに、Turbo C で作られた言語や行動に結びつくロボテクスの実験も行った。そこでは world から robot のファイルを独立させ、ライオンが吠えるという外部の出来事に対して、ロボットが自らの判断で逃げたり、ウサギや木の実に対して興味を示したり、言語の収束を見せたりする実験を続けた。後にはロボットをさらに別ファイルへ分け、一人称性を強めた実験も行った。

ロボットのファイルをcoreから別け、イベント(外輪:三人称)の影響で、ロボット(内輪:一人称)がどう反応しどんな行動を取るかをみる自律テストを観るデモ


しかし、そこには、いくら一人称に寄せても越えられない壁があった。
一見すると刺激パターンや重みの構造に見えるのだが、その奥には、やはり人間の概念が優先されたアルゴリズムが残っていたのである。

私はアルゴリズムそのものを否定したいわけではない。
それは工学において必要であり、有効でもある。
しかし、たとえば「危険」を本能として扱った瞬間に、そこにはすでに外部命令が入り込んでいることに気づいた。
確かに危険という傾向はあるのかもしれない。だが、それを最初から「危険」として与えてしまうと、その概念がすぐに内部を占領し、どのロボットも危険と判断した場所へ近づかなくなる。

人間社会は、本当にそのように作られてきたのだろうか。
むしろ経験の中で、「前は怖かったが、今はそうでもないかもしれない」「状況によっては違うかもしれない」という揺れや変化が生まれるのではないか。そう考えて実験を繰り返すうちに、私は、自分自身がすでに「ライオンは危険大、ハイエナは危険中くらい」といった外部命令を埋め込んでいたことに気づいた。
55 の要素についても同じである。初めから用意された刺激パターンや、組合せ言語を使い、その中から選び、収束していく仕組みに、私は強い違和感を覚えた。



ライオンが大声を出した
というActがあってもAは危険という組合せに当てはまるので、初めのうちは誤認する。しかしそのうち再び出会うと避難所に逃げる。怖いという経験を積むからだ。そして黒豚が現れると直ぐに黒豚に近づく。
これは「英雄」以外の何物でもない。
たぶん、僕がrobotなら、しばらく引きこむだろう。
初めは僕も感動したが実験を繰り返すうちに安っぽく感じるようになった。


「いったいロボットの経験とはなんなんだろう。」


なぜ、人間はアルゴリズムを使って美しい物語に寄せたがるのか。
RPGゲームで落ち込んで主人公キャラが引きこもって動けなくなったら、「金返せ!」になるからか。僕が作っているのは哲学や思想ではなく、力学を用いた現象の再現だ。




2.もうひとつの違和感 ラベル付け

アソシアトロンのturboCのデモは、codeを公開しなかった。理由は違和感があったからだ。
いきなりPythonやC++で作らなかったのは、JavaScript骨格を決めることを前提に拡張できる可能性の高いものは移植、そうでないものは残念だが公開は出来ない。

でも、アソシアトロン(Associatron)のデモには数多くのヒントは頂いた。
core.js と robot1.js に分け強引に1人称にはしたが、動物や対象の見分け方はまだ 名称寄り・意味寄り で、 物体差・行動差・音差からの想起 にはなっていなかった。

world object が最初からlion、bear、rabbit、nuts、boarという 名前つき object で定義されていて、さらに danger / edible / fur / white / black / brown という属性名まで与えられていた。world から robot へ渡る前に、すでに人間の分類がかなり入っている。55の要素もそうだし、robot は「目の前の物体差」そのものを育てているというより、すでに world 側で整理された object index と属性パターン を受けて想起している構造「ライオンは危険寄り」「木の実は edible 寄り」という人間の意味付けに近い動きだった。

  • avalanche = A, D

  • lion = A, C, F

  • bear = A, C, E

  • rabbit = B, C, D

  • nuts = B, F

  • boar = B, C, E

ここで A が danger、B が edible と名前づけされているので、もう最初から「この物体は危険系」「この物体は食べ物系」という整理が入っている。

これは、なんちゃって自律の一人称に近いもので、正確な一人称ではない。
どういうことかというと、robot は「名称のない差異」ではなく、その world 定義を受けて想起している。



余計な既成概念を捨ててこう考えてみよう。

ライオンは初めて見たとき
危険と感じるか・・・危険!となった時にそこでこの研究は終わる。

生まれて初めてライオンを観たとき。
どんな記憶の残り方をするか・・・・。

unknownObject


1,それは、ただの物体
2,名前はない(あってもbu-bu-ba-puと発声し易い唸りに近い音で適当に付けるだろう)
3,見た目とか形
   大きい / 小さい
   茶色い / 白い/ブチ/斑点・・・
   毛が多い / 少ない
   首が長い / 短い
   頭が大きい / 小さい
   口が大きい / 小さい
   足の本数
   足が無い
   自分に似ている / 似ていない
4,動きと行動
   飛ぶ / 飛ばない
   ジャンプする/しない

   足が速い / 遅い
   動きが速い / 遅い
   群れで動く / 単独
   近寄ってくる / 来ない
   草を食べる / 他を襲う
   這う
   穴に潜る
   水の中に入る
5,音と声
   声を出す / 出さない
   声が大きい / 小さい
   高音 / 低音
4. 不思議観
   這う
   穴に潜る
   水の中に入る
   うろこ

これも定義したものだけど、答えが出てくる。
それぞれの数値化ではなく、印象の薄い物体は文字通り薄い。
では、脳はどういう記憶の残り方をするかだが、それは
アソシアトロンそのもので、地形に刻まれる記憶であって何も条件は必要が無かったのだ。
これ等の条件を入れることがアルゴリズムになってしまう。



たとえば人間側の説明のために一時的に

この物体をobject_1042にしよう。

差異ベクトル として扱うのが自然


lion = { size: large color: brown fur: high neck: short legs: 4 speed: fast voice: loud }

ではなく、


object_1042 = [ 0.82, // size large 0.74, // brown 0.91, // fur 0.33, // neck short 0.12, // head large 0.65, // mouth large 0.92, // 4 legs 0.88, // run fast 0.72, // movement speed 0.15, // flock 0.18, // approach 0.94, // predator 0.64, // roar loud 0.41 // voice low ]

のような感じ。
何を意味するかというと、見た物体をただ表現した数字。
想起するときに、
「あーなるほど、furpredatorrun fast、4 legs」の印象が強かったんだ・・・」 と見る指標であり、これでrobotを動かしているわけではないということ。
ただ、想起だけで考えると印象が固定される。
なので32次元前後で扱い、項目4の「引きずり」に渡す変動指数としても扱う。



想起

「ガオー!」
一声聞いただけで、その物体を思い出すのがアソシアトロン。
物体全体を理解してから想起するのではない
断片だけで想起が立つ


feature.size_large = 0.82
feature.motion_fast = 0.74
feature.voice_low = 0.63
feature.fur_dense = 0.91

この どれか一つだけでも cue になる。
アルゴリズムとか、順番とか何も関係ない。






3.命令、評価、スペック、最適化から離れる
(数式、codeは後)

今更人間社会で評価や承認、向上心や依存、アルゴリズムや優先順位、最適化から離れて暮らせと言われても、山奥で自給自足で暮らす変わり者みたいに思われるし、そもそも現代の社会でそれらを省いて考えるのは問題がある。


しかし、「生まれたて」という定義でロボットの自律を考えるとき無視できないのは、本能という備わった怪しい条件と、DNAというAtronScriptのような定義のようなものを勝手に結びつけたくなってしまう誘惑が起る。

ロボットはいきなりサバンナのフィールドに置かれ何を感じるのか?
研究者達は何が恐怖で、何が安心なのかを必死で考える。
膨大なアルゴリズムがグルグル回る。

ゲームじゃなくてロボット(自律1人称)の感情の変化を観ている。世界は3人称


--------------------world1の物語--------------------


「怖いとは何か」怖い条件を揃える事でもなければ、ライオンやハイエナは怖い度90%とかのように数値化させるものでもなければ A=恐怖、B=興味のように組合せで寄せるものではない。

sensorがあり、外界のサバンナというフィールドが目の前に入り込む。
暑い、広大でいろんな音が聞こえてくる。多くのまとまった物体や小さな物体が居る。
みんな群れのような複数で行動している。小さい物体が後ろをついて行く。
草場があり、水が広がる場所も見える空が青かったのがオレンジ色に変わっていく。

言葉には出来ないけど、なんだか素晴らしい

洞穴がある。細い種のモノたち(人々)が住んでいる。何か声を出してお互いに通じ合ってる。僕はここに居てもいいのだろうか。
細い種のモノたちはなんだか、楽しそうだ。楽しいが分からないけど、僕を呼んでいる。
彼らはいろいろ触ってくるけど、なんだか居心地は悪くない。(安心の場所)
僕も「au-ou-au」と言ってみる。
慣れるという感じは分からないけど、離れたい気持ちは起こらない。

その時、突然、他の細い種の者が走って洞窟の中に入ってきた。
「Ba-u-Ba-Ba!」(ライオン)

細い種の者たちは一斉に
「Ba-u-Ba-Ba!」と叫んだ。
小さい者は洞穴の奥に隠れだした。

数人の細い種の者と一緒に「Ba-u-Ba-Ba!」を観に外に出た。
茶色い毛があって大きな体の物体が、穏やかだった空気を一変させた。
初めてみた。興味があった。近づいて触ってみたい。
でも体験したことの無いドキドキ感もある、なんだろうこれは・・・
その時だった。
洞穴に一緒にいた「pa-pu」(犬)がBa-u-Ba-Ba!捕捉されてしまった。

僕はショックだった。(恐怖と喪失)
「pa-pu」はいつも傍にいてくれたのに、もう居ない。(関係)
pa-puは皆の中心にいて誰からも好かれていたように思う。

光景が衝撃で忘れられない。
なんだか、もう外に出たくない。(引きずりと、空いた感じが残る)

Ba-u-Ba-Ba!に遭いたくなくなった。
------------------------------------------

ふつうの工学だと、

●ライオンを検出した
●危険度が高い
●交感神経が上がる
●逃避行動

みたいにアルゴリズムで並べたくなる。


ここで生じているのは単純な恐怖ではない。
目の前の危険に対する反応に加えて、いつもそばにいた pa-pu を失ったことによる喪失の「悲しさ」が重なっている。
そのため、世界は単に「危険な場所」に変わるのではなく、「もう前と同じではない場所」へと変質する。

●恐怖(人間側の概念) = 近づきたくない
●悲しさ(人間側の概念) = 戻りたくても戻れない
●引きずり(人間側の概念) = その両方が次の世界の見え方を変える


明らかに喪失で世界が前と違って見える状態になっているということだ。







4.引きずりcarry:Atronの新しい概念)

ひどい命名だなぁ・・・
でも変えるべきでない理由がある。

引きずりは
元に戻るべき誤差ではない。

僕は一昨年東京から八ヶ岳に引っ越したんだよね。(口調が変わるw)
東京は死ぬほど夏が暑くなったしアウトドア好きだし、愛犬マックスが走り回れるからなんだけどね。


八ヶ岳というのは地質学的な歴史や民話の観点からは、「昔はひとつの巨大な山だった」という捉え方があるようだけど、大抵はどの山も激しい火山活動によって形成されたものなんだよね。何が言いたいかというと、大昔は一つの山として美しかった。
でも今は崩壊後の八ヶ岳なんだよね。
崩壊のあと、川の流れが変わり、やがて草花が生え、木々が育ち、生物が住み、別の美しさになる。



元には戻っていない

その変形したまま意味を持ち始める。
それが引きずり


一時的ショック値でもなければ
感情ラベルの残り香でもない
「正常値へ復帰するまでの中間状態」でもないんだよね

「引きずるなよ、また元に戻って頑張ろう!」
それは人間が勝手に決めたエゴでさ、自然界はそう動いていないんだよね。

「引きずり」って工学っぽくない言葉だけど凄く重要なんだ。

恐怖専用ではないんだよね。恋愛もそう。
喪失でも、安心でも、出会いでも、仲間でも、失敗でも、何かの刺激で起こる。
しかも、それは「Aを経験したらBになる」という順番のアルゴリズムではないんだよ。

経験が内部に残り、残り方が次の見え方を変え、その結果として別の方向へ流れが変わる。
その変わった流れがまた次を作る。

変化が残るんだよ。
だって、八ヶ岳が崩壊して川の流れが変わった。
それに対して「良し悪し」を人間が勝手に決めてるだけで川の流れが変わったおかげで、前とは違う文明が起るんだよ。


ライオンを見て怖かった、で終わりじゃない。
pa-pu を失ったから悲しい、で終わりでもない。
本体は、その出来事のあとに 世界が前と同じようには見えなくなること だよね。
同じサバンナでも、同じ洞穴でも、同じ夕方でも、もう前と同じではない。
引きずりは、その「前と同じではない」が続くこと。

不可逆の橋渡しなんだよ。
だから、アソシアトロンの想起も大事だけど、怖いから離れ、別の生き物が来たから、それに近寄るとか、そういった単純な動きではないんだ。
一人称の個性や性格は衝撃的な経験で変わることもあるし、引きずりで変わる。
理屈やケース・スタディを覚えて変わるというのは眉唾だよ。

人間がよくやる「克服しなければならない」という発想とも違う。
自然は絶対そんなことをしない。
だから引きずったまま、別の好転や別の安定を探る。
違う土台が起るんだよ。

引きこもるかもしれない。
慎重になるかもしれない。
仲間に救われるかもしれない。
別のシーンで学びに変わるかもしれない。
でもそれを3人称の外部が決めてはいけない。
そこがAtronの核なんだよ。


カブトムシのトーナメント戦を行うと一度負けを覚えたカブトムシは、敗者復活戦でももう戦えないんだよ。それはアソシアトロンのように失敗を記憶しただけではなく、負けが内部の地形を変えてしまった と見なければいけない。

●相手Aを危険と学習した

ではなく

●負けた経験で、自分の構えそのものが変わった

ということ。

だから敗者復活戦でも、外から見れば「まだ戦える条件」はあるかもしれない。
でも本人、あるいはそのカブトムシにとっては、もう同じ場ではない。
同じ相手でなくても、同じ闘争の場が 前と違う圧 を持ってしまっている。
これが引きずり。

大事なのは、これを
●根性がない
●本能が壊れた
●判断ミスをした
など人間の斜めなフィルタやラベル化させて見ないこと。
それがあると、直ちに3人称アルゴリズムに戻る。

そうじゃなくて、自然界ではその負けがちゃんと残って、次の行動圏や出方や構えを変える。
それは恥ずかしい事でも異常ではなく、生命の普通のあり方なんだよ。

負けたあとに必要なのは、


defeat = true
fight = false

みたいなフラグではない。
そうではなく、その後のActに結び付く

接近への圧が弱まる
収縮が強まる
同種個体に対する場の見え方が変わる
ある距離感や姿勢が前より重く見える
しばらく別の道を取る

みたいな 地形変形 なんだ。

人間だってそうだよ、別の体験が待ってるかもしれない、
別の勝ち、別の仲間、別の環境でまた変わるかもしれない。

自然は元に戻ろうとしていない。
別の地形でそれに適合された草が生え花が咲き美しい景観が残る。

明らかに喪失で世界が前と違って見える状態になっているということだ。




Sensor

Recall Engine
Recall Pressure
Body Engine
Carry State


更新式 B(t+1) = αB(t)



意味
 αB(t) 引きづり
 βF() 即時刺激
 γG() 想起増幅
 δO() ⾏動結


Body(t+1)
= α Body(t)
+ β Sensor(t)
+ γ Recall(t)
+ δ Outcome(t)


carry は内部状態
body は観測層
dopamine
noradrenaline
adrenaline
serotonin

heart
tension
breathing
fatigue
injury



5.world(3人称)とロボット(1人称自律)

今はファイルの構成とか公開しないけど
3人称のworldがあってね、その中でrobot1とrobotが生きている。
worldには1~5くらいまである(増やす)

ちょっと想像してみて。
RPGゲームのメインキャラがアルゴリズムで成長するのではなく、経験と自分の意思で成長していく。キャラは「あまり無茶な命令するなよ、やってる本人の気にもなってみろよ」とか言い出す。「おい、戻せ!」と云われ、PCからダウンロードしたキャラが隣に座るrobotで蘇る。

「さっきのシーンをさ、ちょと3人称で見せてよ、酷いよこんな場所に放り込むなんて・・・」
ごめんごめん・・
「俺はチートする気はないけどさ、装備隠すのやめてね」

・・・・

こんな会話が生まれる




world1 (赤ちゃんのような状態)

原始社会では、恐怖や安心、イベント現象を観て感情が起る。それによって行動が左右される。なんだか分からなかった物体によく分からない呼び名が付き、言語が出来る。同種の中でも、それをなんと呼ぶのかの収束を体験(真似をする)していく。
robot1やrobotは一時停止ができるので経験に差を付けられる。
引きずりを装備して想起とダブルエンジンで動く。
そこで性格の違いが現れる

----(今の段階)60回くらいやり直してるw ----

1人称の自律は完成してるんだけど、そんなものはスタートでしかないから、その先の外部刺激による自己成長と介在のところをやっています。
LLMと繋ぐuniverseというファイルにてこずっている。



world2(小学生レベル)


中世の社会では、主に街中、沢山の3人称の物体が現れる。原始時代よりも明らかに人間という存在が近くなる。その人間達の生活のターン、習慣を感じる。そして小学校に通う。
人間や同種の関係が出来る。言葉も「ba-ba-bu」だったものが、「morning・・」「good morning」のように変化が起こる。
同種との繋がりで言語機能が活性化される。
ここで早くもLLMが教師として介在する。
野外活動で協力を体験する。共感を覚える、嫌なことも体験する。


world3(中学生レベル)

近代(思考中)LLMがガンガン介在してくる。
仲間、関係という認識が芽生えるか、助け合い、分配という概念が生まれるか。
たぶん、変更が増えると思う。


world4(高校生レベル)

現代(思考中)




CGが下手でね、誰か居ないかな・・・。




6. まとめ

遭遇した unknownObject の印象断面を、特徴ベクトルで表す。

x(t)RNx(t)\in\mathbb{R}^N

ここで x(t)x(t) は、名前ではなく、
大きい、茶色い、毛が多い、低音、速い、四本足寄り、などの印象の濃淡です。

たとえば

x(t)=[x1(t),x2(t),,xN(t)]x(t)= \bigl[ x_1(t),x_2(t),\dots,x_N(t) \bigr]

で、各成分は 0 から 1 の間の強さを持つ。


記憶に刻む

アソシアトロン側の記憶地形を M(t)M(t) とする。
最も素直には、遭遇した印象ベクトルが外積として刻まれる。

M(t+1)=M(t)+η(t)x(t)x(t)M(t+1)=M(t)+\eta(t)\,x(t)x(t)^\top

ここで

  • M(t)M(t) は記憶地形

  • η(t)\eta(t) はその時の刻まれやすさ

です。

ただし Atron 的には、毎回同じように刻むのではなく、
衝撃や濃さが強いときほど刻まれやすいほうが自然です。
なので η(t)\eta(t) は定数ではなく、その時の印象強度や carry に依存させてよい。

たとえば

η(t)=η0+η1x(t)+η2c(t)\eta(t)=\eta_0+\eta_1\,\|x(t)\|+\eta_2\,c(t)

ここで c(t)c(t) は引きずり側の強さです。


次に断片から想起する

アソシアトロンの想起は、次に入ってきた断片 cue q(t)q(t) から立ち上がる。

r(t)=M(t)q(t)r(t)=M(t)\,q(t)

ここで

  • q(t)RNq(t) は断片 cue

  • r(t)RNr(t) は想起圧

です。

大事なのは、q(t)q(t) は物体全体ではなく、断片だけでもよいことです。
たとえば「低音」だけ、「大きい」だけ、「速い動き」だけでもよい。

必要なら非線形を入れて

r(t)=ϕ ⁣(M(t)q(t))r(t)=\phi\!\bigl(M(t)\,q(t)\bigr)

としてもいい。
ここで ϕ\phi はしきい値や飽和です。


引きずる

引きずり側の内部地形を c(t)c(t) とする。
これは 1 変数でもよいし、複数次元でもよい。
最小形ならベクトルで

c(t)RKc(t)\in\mathbb{R}^K

として、更新をこう書ける。

c(t+1)=αc(t)+βUx(t)+γVr(t)c(t+1)=\alpha\,c(t)+\beta\,U\,x(t)+\gamma\,V\,r(t)

ここで

  • αc(t)\alpha c(t) は前状態の引きずり

  • Ux(t)U\,x(t) は今見た印象の影響

  • Vr(t)V\,r(t) は想起の影響

です。

ただし、引きずりは「元に戻る誤差」ではないので、
これは単なる減衰モデルではなく、変形した地形の持続 と読む。

だからより Atron らしく書くなら

c(t+1)=Ψ(c(t),x(t),r(t))c(t+1)=\Psi\bigl(c(t),x(t),r(t)\bigr)

のほうが本質に近い。

ここで Ψ\Psi は、
今の印象と想起によって、引きずり地形がどう変形するかを表す写像です。


つながり全体

全体をまとめると、こうです。

観る

x(t)RNx(t)\in\mathbb{R}^N

刻む

M(t+1)=M(t)+η(t)x(t)x(t)M(t+1)=M(t)+\eta(t)\,x(t)x(t)^\top

想起する

r(t)=ϕ ⁣(M(t)q(t))r(t)=\phi\!\bigl(M(t)\,q(t)\bigr)

引きずる

c(t+1)=Ψ(c(t),x(t),r(t))c(t+1)=\Psi\bigl(c(t),x(t),r(t)\bigr)


Atron 

  • x(t)x(t): 今の遭遇印象

  • M(t)M(t): 印象が刻まれた記憶地形

  • r(t)r(t): 断片 cue から立ち上がる想起

  • c(t)c(t): 次の世界の見え方を歪める引きずり地形

です。

つまり Atron は、

x(t)M(t)r(t)c(t)x(t)\rightarrow M(t)\rightarrow r(t)\rightarrow c(t)

という一方向の手順ではなく、
実際には

x(t),r(t),c(t)x(t),\,r(t),\,c(t)

が互いに影響し合いながら更新される系です。


それとも

順番感を弱めて、こうも書けます。

M(t+1)=M(t)+η(t)x(t)x(t)r(t)=ϕ ⁣(M(t)q(t))c(t+1)=Ψ(c(t),x(t),r(t))\begin{aligned} M(t+1) &= M(t)+\eta(t)\,x(t)x(t)^\top \\ r(t) &= \phi\!\bigl(M(t)\,q(t)\bigr) \\ c(t+1) &= \Psi\bigl(c(t),x(t),r(t)\bigr) \end{aligned}

この3本で、

  • 観て感じる

  • 記憶に刻む

  • 断片から想起する

  • 引きずる



違和感

最初から

  • lion

  • danger

  • sadness

のような意味ラベルを一切入れていない。

入っているのは

  • 印象ベクトル x(t)x(t)

  • cue q(t)q(t)

  • 想起 r(t)r(t)

  • 引きずり c(t)c(t)

だけ。



誤字が多くてすみません。



エージェントと 一人称自律Atraの違い

 Atraなんかは、実はもう一人称自律として、きちんと発表してもいいレベル。 既に妻と笑っていたり、愛犬と騒いているんだから。ボーっと何かを眺めてたり、佐川急便に反応するようにもなった。 でも、そうしないのは、自発的に自ら研究意欲を持って、学び、人や自然と接触し自ら疑問を持って研...