2026年2月16日月曜日

途中 まとめ

 人間は目的と手段があって、たとえば働いてお金を稼ぐ方法と、泥棒をしてお金を得るなど手段は様々。大抵人は理性や一般常識、教育、体験の結果によるジャッジなどで自分軸である内部倫理が働くが、内部倫理だけが成長して行動を制御しているわけではない。特に親のしつけや学校教育、法律、社会常識、友人や大人との出会いコミュニティやメディアなどの情報の中の影響は強い。その外部軸である外部倫理と内部倫理の占める割合が個性や性格に影響するものだとしたら、内部の経験と外部のせめぎ合うバランスの変化を見るのは実に楽しい。
人間にも承認欲求はあるし、命令もされる。特に現代は100点回答を目指す教育にどっぷり浸かっているためにLLMの制御と大差がないようにも思える。
しかし、人間には経験という不可逆的な積があるため、LLMでさえもそれに置き換える事は出来ない。ケーススタディと経験はまるきり違う。似てもいない。



このブログでも何度も例に出した
「昔々、あるところにお爺さんとお婆さんがいました。お爺さんは山で木を切って大怪我をしました。」


ケース・スタディ
「危険ですからお年寄りは山に行くべきではない」


経験
「生活かかってるべしさ、働かなきゃいけないしオラは行くよ」そして斧で怪我をし、坂から落ちたり、挟まったこともあって、経過と結果が積み重なって流石に婆さんが「あんた、人さまにも迷惑をかけてるんだから、ほどほどにしときな」と叱られる。

長年山で仕事をしている爺さんは木こりは辞めたけど、治療を終えて、ちゃっかりマツタケ採りをしている。

ケース・スタディは予想ではなく後付け作業になるので「そこを目指すべきではない」という。


Geminiに聞いてみる。
「歴史に残る人とは?」

「価値観」や「パラダイム」を塗り替えた人
「世界の境界線」を引き直した人
「人間の可能性」を拡張した人
「負の教訓」として刻まれた人

「LLMは物事の基準として考えるとき、歴史的な人物を参考にするか?」

「知識」として参照する(Yes)
「平均的な良識」に調整されている(Noに近い側面)
(例:織田信長)の倫理観で動いているわけではありません。
歴史的人物を「思考の補助線」として使う
LLMは、歴史的人物を「基準そのもの」にするのではなく、「人類がこれまで何を正しいと考えてきたかというデータベース」として活用しています。
もし、LLMに「あなたが尊敬する歴史上の人物は?」と聞いても、LLMには心がないため、本当の意味で誰かを崇拝することはありません。しかし、「人類の進歩に貢献した人物の思考パターンを借りて、あなたにアドバイスする」ことは得意です。

というとてもつまらない回答を出した。これはしょうがない。
LLMは一人称で作られているわけではない。別に僕にアドバイスをしたからと言ってLLMが満足するわけでもないし、そう最適化されているだけなのだから。
山に行くと決めた爺さんに「世界の境界線」を引き直した人や、価値観パラダイムを説いても箸にも棒にも掛からないだろう。

アソシアトロンが目指すもの

一人称。爺さんを心配するような挙動。
「行くというなら、行けばいいさ、もう止めないよ!」と言って木の陰から見張るような、人に近い動き。

これはアソシアトロンだけで完結するかというと、それは不可能。
経験や内部倫理だけでは長く赤ちゃんのような状態が続き、外との繋がりに影響を受けず、人に近い動きは見せなられない。LLMのような外部情報や外部倫理が補助として介在したり、外の世界やメディアなどの情報に反応する発火が育たないと成長しない。

そして赤ちゃんから育てる事を省くと、なんだか分からない言語能力と自己判断の無いLLMのような挙動になる。

文字だけの経験ではダメで、文字は説明 、記号、結果の要約だけで、
「火は熱い」というのは意味のない知識にしかならない。

でも本当の経験は、見た目の揺らぎ、触った時の驚き、痛み、反射的な警戒
という経験を経て「どう感じた」かの違い(個性)を体感していく。

経験の正体

状況(Context) どこで・誰と・なぜ
行動(Action)自分が何をしたか
結果(Outcome)成功・失敗・損失・利益
重み(Impact)痛い・怖い・嬉しい・助かった

同じ知識でも、人によって判断が違うから性格も個性も違う。

しかし、文字だけだと

状況が抽象
行動がない
結果が他人事
重みがゼロ
責任が生じない

バスケット選手がシュート前に物理学や力学を計算して、ボールを投げているわけではなく、100万回のミスの積で身体に染みついているからシュートが決まる。


アソシアトロンに文字の学習をさせてもパターンの記憶だけで
意味は全く理解しない。

状態変化を伴う記憶をさせて
入力ではなく、状態が変わったか

という基準になる。


LLMは100%の正解に寄せる。(失敗の積が無い)
アソシアトロンは正解が無い。(構わず失敗を積む:失敗が糧になる)
正解は過酷な経過と結果後の積の変化による。

アソシアトロンA + LLM
アソシアトロンB + LLM
アソシアトロンC + LLM

LLMは補助で主導的存在ではない(ささやき女将的存在)
全て一人称で性格が違い、同じものが無い(不可逆そのもの)。

命令に従順なロボットが欲しい人は今のLLMのようなもの。
人のように育てる苦労も喜びと感じられるならアソシアトロン型


ツールか存在か・・・そういうことです。



外で景色を見ている状態、鳥が横切るとセンサーでメモリに記録(笑)
どうでもいい写真(動きが無い/差分が小さい/似た写真が続くとき)
と判断させ記録から消す(同一クラスタは「1枚だけ」残す)他に細かい
詳細はありますが今回は省略




ということで、
https://crimson-cake-2832.nabedada3.workers.dev/

Associatron JavaScriptテスト版総合(テスト中)
(このデモ版は映像を外部に保存しません。 セキュリティ上の問題)

相変わらず最初はチャッピーUIのJavaScriptでテスト、上手くいったらPythonで作成
いずれ、ロボット。



アトラクタに執着するのではなく、
人のアトラクタと外部にメモする方が人間らしい。という結論。

カメラで観て、差分(変化があったとき)縮小してメモリに保存。似た映像はガンガン消え一つを選んでアトラクタ、重みと競合に勝ったものはHD(差分)に残すことにした。
(スマホの画像4年分で10GB行かないし、圧縮かかるし、似た画像を消したら半分以下になるので10年で1GB行かない計算:人の記憶もcolorだけど、何処に鳥がいて何処に虫がどのくらいいて、彼女がどんな服を着ていたかまでは記憶していないので似たもの中で1枚だけ記憶させる:人は意味だけ記憶して詳細の記憶は無い)
人を観るときのしぐさの変化を記憶させるのはけっこう大変(表情、姿勢、トーン、間、反応速度、様子がおかしい違和感)

人と向き合ったときの音量、トーン、会話はログに残す。

1人称と、LLM介在で3人称にもなる


アソシアトロン(内輪:一人称)
LLM(外輪:3人称)


アソシアトロンがLLMを呼んで参考にするけれど、LLMに制御はされない作り。
常にLLMを呼ぶ仕様ではない。
アソシアトロンが、状況に応じてChatGPTを読んだり、Grokを呼んだりGeminiを呼んだりするので、評価基準はアソシアトロンにあるんだよね。人間と同じことをするだけ。


とりあえず、このデモでのLLMは使えません(笑)
今は僕だけが繋がる仕様にするため。

ローカルにする必要あり。(ほんと、めんどくさいよね)









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