2026年2月10日火曜日

おせっかいな話

 

親切は、おせっかいとは違う。(おせっかいは英語にすると何になる?)

時に親切はおせっかいに変貌し、邪魔になる。
そっと傍に居てくれるだけでいい。

このニュアンスや意味の違いが分かるようにするためには、AIはケース・スタディではなく積と価値の重みがないといけない。

RPGゲームでいえばつまらない状態だ。
何もしないで傍にいる。形的には、なんのポイントも報酬もない。

条件をタイミング、距離感、相手の状態、関係の履歴、空気観にしても
なんだか空虚な気もする。

「親切心で言ってるんだろ!」
これは迷惑以外の何物でもないよねw


積とは何か、経験です。
全て体験で経験する。

●以前は助けすぎて嫌われた。
●助けられてるのか、責められてるのか分からなかった。
●一人にしてほしいという。慰めると相手は余計に傷つく。
●笑顔で傍にいてくれるだけで嬉しかった。とか

「最適化」させるルールではないんですよね。

この概念をAIロボットに置き換えると、積と重みが必要です。

時に、日本では80年代にMBAが騒がれる前までは「お客様は神様です」という概念を持っていて、「会社は株主のものだ」という構造に酷く抵抗を持っていました。どっちが素晴らしいかを話しているのではなく、日本というのは上場しなければ、無限責任なために会社をゲームのような感覚で捉えるのは難しかったのです。99%は中小企業ですしね。

京都に1000年続く団子屋さんがあります。本当ですよ。調べてみてください。
できれば日本に来て体験してみてください。
そこは、特に高級ではなく、つつましやかでもなく(英語にするのは難しい言葉)、イベント性があるわけでもなく、大げさなお迎えがあるわけでもない。ただ、お寺参りの帰りに寄れる利便性と、米粉を練って竹串に刺したお団子を炭で焼いたもの。爆発的な繁盛を目指すわけでもなければ、コトラーのマーケティング原論を爆読みしたわけでもない。
マーケティングをコンパイルしたとき、本当に「いらっしゃいませ」になっているのか?
他所の国家が誕生する前から同じ製法で、同じトーンで長く継続される。
「おかげさまで」という概念を続けているだけのいわゆる暖簾商売。
間違ってはいけないのは、同じ積でも成功や報酬の蓄積ではないという事。

日本人として生まれ育つと、こういった不可逆性の多さにあらためて気づかされる。
少なくとも家庭内での教育は不可逆生だらけです。
「人の見ていないところで人の役に立ちなさい」
「人の嫌がる仕事を率先して行いなさい」
「他人が嫌がることは、してはいけない」
「ならぬものは、ならぬ」(笑)とかね・・・。

AIに触れると、未だに「教師有」とか「無し」とか・・。
人間が無人島で暮らして誰の影響も受けずに原始人のように育つことを善とするのか。アメーバーかウィルスを目指しているのか。

実際は、とにかくなんでも記憶させる。アルゴリズムの正解やラベル付き、報酬に最適化されている時点で「教師無し」など存在しない。それがここまで巨大化すると、もう振り上げた拳を降ろすことより、限界まで巨大化させるしか方法はないのか・・・。

人間は最初から教師だらけの世界に身を置いているのに、未だに「教師あり/なし」という区分を持たせること自体に違和感を持ちます。世界に教えられながら、自分で補完しているのに、道具を使って完成させたものを否定したりもする。
それ自体がバランスの悪い不可逆だとも感じる。


長く生きたいじゃないですか・・






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