2026年1月18日日曜日

不可逆性の評価

 バスケットボールの選手はなぜシュートが決まるのか。彼らは重力の計算を行っているのか? 数字や証明だけに偏っていても、まさかそれを試そうという発想にはならないはずだ。たぶん、プロはこう言うだろう。君たちの100万倍はシュートを外している。練習によってそれが体に染みつき、自信となって、ここぞというときにボールを放つ。それがたまたま得点に繋がっている。 

料理人に修行は必要ないという人が居たが、そのとき美味しい料理が作れるのと、継続して安全な料理をお客に提供するのとでは、意味が違う。過去と今とこれからの責任は誰が取るのか。

研究者で自信喪失した若者が居たとする。大学でも教授の評価がいまいちだったと仮定する。社会に出てもパッとしない。彼本人も自信を失いかけている。そんなとき、AIは何処を評価するのだろう。数値だろうか、もうしそうだとしたら、アインシュタインは解雇だったかもしれない。彼の日常という評価はしないからだ。学生のうちから自分の金で自分の時間で、自分の責任で未来に投資をする。誰だって「これ、間違ってるかも…」っていう道は通るはずだ。
その地道な谷を、他人に隠して “平気なフリ” をする人より、逆にその不安を隠さずに進める人は強い。

潜在能力は蓄積した者しか発揮しないのかもしれない。違う環境や何かのきっかけで爆発的な発火をする。他人様がどう云おうが彼には積み重ねてきた失敗がある。やる気が失われるというのは、やる気があった人の言葉で、その原因が内部的なものなのか、外部的な批判なのか、そいった原因によって動機が変わることはあっても、その人の本質とは全く違う。逆に自己評価できない人より可能性があるように思える。

俺が俺がという人より「この成果は〇〇のおかげです」と言える人は
後で必ず協力者ができる。そこが圧倒的だ。センスとは「気づき」の事

そこをAIはどう評価していくか。

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