最近、毎日論文を10くらいは読む。論文は大嫌いなんだけどね。
特に研究の痕跡が見当つかないものは僕は読めない。
有名大学の生徒さんだったり、教授たちだったり、他には僕のような研究者のものも読む。
特に生徒さんたちの論文を読むと、何かに毒されて、なんで、そうなってるんだろう・・・・と、疑う事が増えてきた。というか、とても心配。
共通してるのは、スタートから3人称臭がもの凄いってこと。
生徒さん達に限らないね、最近、みんなそんな感じだ。
論文じゃなくて「投資向けプレゼン」って名称に変えた方がいい。
LLMを使用しているとか、そういう事じゃなくてね、
誰に喜んでもらえるような、誰に近い「正解」に寄せた、誰が云う流行りテーマで
「特に自分の研究は、他とこういう違いがあって」、〇〇の定義を証明する形にもなっていて・・・。 なんの報酬で、どこ向いてるの?ってこと
正直、小学生の作文の方がマシ。
誰の影響?
小声でいいから元老院の名前言ってごらん・・。
もとい、
まず、研究の1人称、3人称の話ね。
古代から天文学には日時計とかグノモン、アーミラリ天球儀、アストロラーベみたいなものがあったっしょ、たとえば、ガリレオ・ガリレイ(1564–1642)なんて人(17世紀のイタリアで活躍した物理学者・天文学者)も自作の望遠鏡で天体を観察して木星の衛星などを発見し、コペルニクスの地動説を支持した人だよね。「いやぁ、俺的には星ってのは、こうなんだよね・・・」じゃなくて道具を使用して証明しようとしたわけだよ。
測定器、単位、実験条件、数式、再現実験ってのはさ、「俺はこう感じた」じゃなくて、別の人がやっても同じことを確認できるようにしようとしたわけじゃん。再現可能性、測定条件、他人が確認できる形だよね。
ガリレオ本人の研究過程を考えると、「あれ?」→ 見る → また見る → 前回と違う → 考える → 道具を変える → また見る
実験しまくるよね、普通。
この辺は1人称的だよ。本人の疑問、経験、失敗、執着が連続しているし。
最初から「万人に共有できる正解」だけが頭の中を流れているわけじゃない。
ごく普通の研究者の姿だよね。
でもさ、「木星の周りを天体が回っている」と主張する段階になると話が変わるわね。
「だって俺にはそう見えたんだもの」だけでは他人は確認できないでしょ。
「俺の頭の中で木星が回ってるんじゃなくて、俺とは関係のない木星の周りを回る天体の話」だもの。お前の気持ちと何の関係があるんだよ!って事だよね。1人称ではない。
そこで、
いつ観測したか
どこに見えたか
翌日はどう動いたか
どんな望遠鏡を使ったか
他人が同じように見ても確認できるか
と3人称化していく。
でもさ、科学革命を起こした有名人たちは、今の完成された科学制度の中で研究していたわけじゃないでしょ。
ガリレオなんか、既存の地図を照合していたというより、望遠鏡を覗いて、
「おい、地図と違うぞ!」と言った側だよね。
「あれ?」→ 見る → また見る → 前回と違う → 考える → 道具を変える → また見る
これは1人称的じゃん。
本人の疑問、経験、失敗、執着が連続している。
そして何よりも研究の痕跡が残る。
発見の過程は、1人称でいい。
共有された外界について主張するときは3人称で検証する。
ってことだよ。
僕が問題視してるのは、後者が成功したために、その方法を前者にまで逆輸入して、
「研究を始める前に、問いを客観化しなさい」
「仮説を明確にしなさい」
「評価指標を決めなさい」
「正しい研究課題にしなさい」
というように、スタートから外部命令の3人称になってしまうこと。
そうすると、まだ何が起きているか分からない段階なのに、証明するときの作法で発見まで、まだわかりもしないハズの誰かが喜ぶ「正しさ」に寄せようとする。もしくは、大学や機関にそういう力が働いている。
「知らねえよ。だから行くんだろ(笑)」となる。
もっと酷いのは行かなくて済ませようとする。
外野は行く前から
「あそこ危険なんだよね」
「そんなテーマ、補助金もらえないから無駄な研究をするな」
本当に最初から3人称で始まり、研究の結果は誰かが満足する回答になっている。
-------------対 1人称で話す------------
海に行こうよ、向こう岸まで行こうぜ!
危険だと思ったら装備を作ろうよ、それも醍醐味だろ。
「あの~うざいんですけど、そんな温度上げられても困ります」
「きもいんですけど、僕等チルなんです」
そう言えるならまだ、マシ。
そのチルが全身「評価、報酬、最適化」に染まって、将来生きていけるのならいい。
でも、社会はもう、そういう風に動かないだろうね。
考えてみてよ、そんなのAIが代わっちゃう。
現にアメリカのように大学や研究所に対しての補助金の見直しが入ったらどうする?
中国のように採用枠が100倍も減少したらどうする?
(100倍ならマシかも)
投資家の向く方向が突然変わったらどうする?
大学評価が大幅に変わったらどうする?
「学費払ってるから学べる」という権利自体が狭まったらどうする?
修士、博士取得する?いや、国が「もう、優遇しないよ」と言ったらどうする?
研究費を出せと、教授たちと一緒に国に抗議する?
各企業は君らの卒論なんか、どうでもいいよね?
ましてや大学ブランドなんて昔と違って、もう評価していない。
「うちで何ができる?」
「どういう責任の取り方ができる?」
建前としては卒論読むかもね。でも「素晴らしい研究だね」、それで終わる。
へぇ、博士なんだ、凄いね。申し訳ないけど明日から営業に行って来てくれる?
今月予算600万から400万に減らしてるから、大丈夫でしょ?
その分他の営業に負担かけてるんだけどね・・・。
営業成績悪い人に研究してもらいたくないんだわ。
経済活動としての成果に結びつかないと評価しようにないからだよ。
今の大学は失敗しても死なない(予算は国や大学が補填、実害は誰も負わない)でしょ。
会社は研究に投資して失敗したときの責任とリスクを天秤に測るよね。
君が必要か・・・考える。
他の経営者はもっと厳しい。
せめてさ、論文の開始くらいは1人称にしてよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿