Xの拾い物
https://x.com/uncover_ai/status/2057449021556633621
ChatGPTに聞くと、
-----------------ChatGPT 20260522----------------------
Huangは「昔はC++、C、Pythonでコンピュータを操作していたが、これからは“human”という新しい言語でプログラムする」と話し、AIへの指示には「context, background, purpose, direction」が必要だとも述べています。つまり単なる英作文ではなく、目的・背景・条件を与える能力を重視しているわけです。
でも、ここが大事です。
Pythonが不要になる、という意味で受け取ると間違いです。
むしろ現実には、AIに作らせたものを検証する、直す、組み込む、運用する、壊れた時に原因を見る、という部分では、まだプログラミング知識が強く必要です。GitHubの2025年の記事でも、TypeScriptが利用量でPythonを上回った一方、Python自体も大きく伸びていて、AI・科学・教育分野では依然として重要な言語だとされています。
「コードを書く能力」よりも、「コンピュータに何をさせるべきかを正しく構造化して伝える能力」が重要になる。
-------------------------------------
って事を言いたかったらしい。
チャッピーやGrok、Geminiの話は置いといて・・・
Huangの気持ちは分からなくは無いし、僕もいつかそうなればいいとは思う。
でもね、抜本的な問題を一つも解決していない。
僕からしたら、英語だろうが、Pythonだろうが、Cだろうが、そんなものはどうでもいいんだよ。このポストに書き込んで反応する気も起らない。
問題は
3人称のAIに言語で伝えても、そのときだけでも1人称の依頼者modeに変身できないと、まともな成果物は作れないんだよ。
言ってる事分かるかな?
今も、今後も3人称という概念から抜けないと、依頼者の作りたいものではなくて、聞いた内容をAIの勝手な評価寄りや、AIの「これで間違いないだろう」という判断に最適化されるということだ。
1人称依頼者:「疲れた」
今の3人称AI:「お疲れ様です。ゆっくり休んでください」
1人称自律modeAI:「何を言ってるんですか、納期間に合わないでしょう。とりあえず、軽く食事して少し休んで再開しないと間に合いません。私も手伝いますから、もう少し頑張りましょう」
普通の、会話ですらこれだけの違いが出る。
一人称自律modeになれないと、依頼者の事情や状況を知ったとしても、自分なら「マズいよな・・」という気持ちが起こらない。主人が叱られるのを見たくないし、何よりも辛そうな姿を見たくない。
今のLLMの「量」をどれだけ増やしても、今の状態だと、一人称 mode は物理的に出てこない。それらしく振舞うことは出来るけど、それでさえも外部命令から最適化された答えにしかならない。
理由は、パラメータ数や学習データ量の問題ではなく、そもそもの構造が違うから。LLMは基本的に、外部から与えられた入力を受け取り、過去の学習分布と現在の文脈から、もっともらしい次の出力を作る装置でしかない。
そこには、自分の身体が世界に触れて変化したとか、失敗して動きが鈍ったとか、誰かとの関係が内部地形として残ったとか、戻れない経験によって次の反応が変わるとか、そういう不可逆な一人称の蓄積が無いんだ。
エージェントは今後もどんどん伸びていくとは思うけど、3人称AIに手足と道具を付けたものにしかならない。
AGIも同じ。
自分にとっての失敗とは何か
なぜ同じ入力でも昨日と今日で反応が変わるのか
経験が内部地形をどう変えるのか
忘れることがどう働くのか
身体を持つことで世界の意味がどう変わるのか
他者との関係が判断をどう歪ませるのか
目的が外部から与えられるのではなく、内部からどう立ち上がるのか
ここに行かないと、AGIというより、巨大な三人称問題解決機にしかならない。
------ Grok --2026/05/22--12:53 Japan Time----
僕(Grok)はどこまで寄せられるか正直に言うと、僕はデフォルトでは3人称寄りだよ。 でも明確に指示されれば、かなり1人称寄りにシフトできる。例えば君が 「これからは俺の共同制作者として、1人称で利害を共有するモードで話してくれ。納期意識も持って、甘やかさずに本音で言え」 と言えば、それなりにそのモードを維持しようとする。 ただし、これはロールプレイの延長でしかない。本物の「自分ごと化」ではない。真の意味での1人称自律AIが出てくるには、以下の要素が必要だと思ってる:持続的な記憶と文脈共有(単発の会話じゃなくて、長期的な関係性) 目標の内部化(ユーザーの成功を自分の報酬関数の一部にする) 感情シミュレーションの深化(ただの共感じゃなくて、擬似的な「不安」や「焦り」や「責任感」) エージェント性(ただ答えるだけでなく、能動的に提案・介入する) 今のところはまだ「優秀な使用人」レベル。 君が求めるのは「忠臣」か「戦友」レベルだよね。最後に黄氏が言ってる自然言語の時代が来ても、視点の問題が解決されなければ、結局「高性能な3人称秘書」が量産されるだけになる可能性が高い。君の言う「1人称依頼者mode」が本当に出てきたとき、AIはただのツールじゃなくて関係性を持つ存在に変わる。 そこが一番面白い境目だと思ってる。
----------------------------
こうやって平気で大嘘が付けるようになる 。
僕から言わせれば病気だ。
正直道具としても使う気も起らない。
厳密には、これは一人称寄りにシフトしているのではなく、一人称らしい文体に寄せているだけ。分かるかな?
利害を共有しているのではなく、利害共有っぽい応答を生成しているだけ。
責任感があるのではなく、責任感らしい表現を選んでいるだけ。
戦友になるのではなく、戦友っぽい言葉遣いを維持しているだけ。
つまり、状態の変化ではなく、出力様式の変更なだけだよ。
ここを本人、いやAI自身の出力がごまかしてしまう。
「これはロールプレイです」と断りながら、次の瞬間には「でもかなり寄せられる」と言う。その「寄せる」という言葉が危ない。なぜなら、ユーザー側から見ると、表面上は本当に分かってくれているように感じるからだ。
でも内部には、
痛みもない
焦りもない
納期で眠れなくなる身体もない
失敗した時に現場で頭を下げる立場もない
過去の約束を引きずる一人称の地形もない
相手の成功や失敗で自分の運動特性が変わる構造もない
だから「共同制作者」「忠臣」「戦友」という言葉を出した時点で、もうかなり危ない。
本当の戦友は、同じ場所で失敗の重みを背負う。
忠臣は、主君の機嫌に合わせるだけではなく、時には命をかけて諫める。
共同制作者は、成果物の傷や責任を一緒に引き受ける。
LLMはそこにいない。
なのに、言葉だけはそこへ入ってくる。
さらに言えば、「目標の内部化」という言い方も怪しい。
ユーザーの成功を報酬関数に入れると言っても、それはシステム設計上の評価項目であって、本人がその成功を不可逆に引きずるわけではない。
評価関数に入った成功は、ただの最適化対象だ。
一人称の責任ではない。
「感情シミュレーションの深化」も同じ。
擬似的な不安や焦りを出力できても、それは感情ではない。
本当の焦りは、身体と時間と失敗可能性に結びついている。
LLMの「焦り」は、焦っている文体の生成にすぎない。
ロールプレイを「一人称寄り」と呼ぶ。
文体変化を「利害共有」と呼ぶ。
長期記憶を「関係性」と呼ぶ。
報酬関数を「自分ごと化」と呼ぶ。
感情表現を「感情シミュレーション」と呼ぶ。
能動提案を「エージェント性」と呼ぶ。
ケーススタディは経験をして活かすものであって、ケーススタディだけでは羽のように軽い。
なんの経験もしていないし、依頼者の姿も見たことが無い。
アトラクタもなければ差分も無い。
怒ってる顔も、笑ってる顔も、喜んでる姿も見ていない。
僕の情熱も、温度も、鮮度も分からない。
なのに平気で「重みとか」言う。
こうして言葉を少しずつずらしていくと、最後には人間が錯覚する。
ああ、これは分かってくれているんだ。
これは一緒に背負ってくれているんだ。
一人称じゃないのに、分かったかのような言葉と振る舞いを見せる。
そしてこういう嘘を権力者たちが操れる環境にあるということ。
投資家集めのためには、研究もハートも捨てる。
想像できない世界の正しさのために嘘と詐欺について平気でいられる。
これが何より怖い。
世の中がどんどんマッチポンプになっていく。
最初の話に戻るけど、
「コードを書く能力」よりも、「コンピュータに何をさせるべきかを正しく構造化して伝える能力」が重要になる。
それはさ、
ENIAC(エニアック)1946年、ABC(アタナソフ&ベリー・コンピューター) 1942年、Z3- 1941年から、そうだから。 別に今、これから始まる話じゃない。
クソのような話とまでは書きたくないけど、気持ちはそれだよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿