A path q(t) is shifted by δq = φ but smoothed in transition layers τ wide at t0 and t1, where Δq̇ ≈ φ/τ. Action changes there approximate ΔS ≈ (∂L/∂q̇) Δq̇ τ ≈ −(∂L/∂q̇ φ)(t1) and ≈ +(∂L/∂q̇ φ)(t0). Symmetry sets total ΔS = 0, hence (∂L/∂q̇ φ) is conserved from t0 to t1.
↑拾い物 ネーターの定理(Noether's theorem)
なんでノイズの無い美しい式が好きなのか、よく分からない・・・。
それはあくまでも理論上の話でさ、現実の実験で、そうなるかね?
「差分を都合よく無視して、無理やり収めている」代表例としか思えないけど。
ゲームとかに使う分にはいいけど、遷移層 t(tau ) の中にこそ、本当の「ドロドロした差分」ってあるんじゃないのかな?
つなぎ目の時間t(tau ) (幅)の中で、速度の差分を Δq̇ ≒ φ / τと、まるで直線的にまっすぐ綺麗に変化するかのように仮定してるけどさw
現実の物理現象や複雑なシステムなんかは、ガタガタした振動(ノイズ)が起きたり、急激な摩擦や熱が発生したり、予測できない非線形な(比例しない)ズレが生まれたりしてんじゃないの? そういう式で収まらなかった余り(差分)はどこへ持っていくかというと、皆は、それを「高次の差分(2次の微小量、3次の微小量……)」として次に利用するわけでしょ?
テイラー展開とか・・・
疑問に思わないんだろうか。
上の数式通りにすべてが完璧に合計ゼロ ΔS=0 で収まってしまったら、この宇宙は「一度始まったら、何も新しいことが起きない退屈な世界」にならないかい。
数式を無理やり収めるために使う「極限(→0)」ってなんでこういうの好きなんだろう。
特殊相対性理論、一般相対性理論、相対論的宇宙論、ブラウン運動に関する揺動散逸定理、光量子仮説、アインシュタイン模型、零点エネルギーの導入、半古典型のシュレディンガー方程式をみなよ。アインシュタインもシュレディンガーも「差分」を見つけて、それを次の新しい物理の燃料として大爆発させたんじゃないのかなぁ。
綺麗にまとめたい人:水の中の微粒子がガタガタ不規則に動くのを見て、「これは不規則な『ノイズ』だから、平均すればゼロ(消去可能)」と考えちゃう。
アインシュタイン:いや、このガタガタ(揺動)は、水分子がぶつかってくる「実態との差分」だべ?この差分の激しさは、水の中を動くときのドロドロした抵抗(散逸)と「次に直結して利用できる」
これによって、当時誰も信じていなかった「目に見えない原子・分子の実在」が、差分の計算(揺動散逸定理)によって世界で初めて証明されたんじゃなかったっけ。
物質をどんどん冷やしていったとき、元老院たちの綺麗な古い公式(古典力学)では「エネルギーは完全にゼロになる((ΔS = 0) のように収まる)」だったよね。でも、実態は収まらなかったじゃん。光や原子の振動の熱を計算すると、古い式と実態の間にどうしても「奇妙な差分」が出たじゃん。アインシュタインは、その差分を「エネルギーは粒々(光量子/固体振動の量子)として不連続にしか動けないからだ」って次のルールに利用したんじゃないの?これが量子力学のはじまりみたいなものじゃん。ほかにも、アインシュタインは、温度を絶対零度(極限のゼロ)にしても、物質は完全に静止せず、どうしても引けない「最低限の差分」が残ることを見抜いたよね。これが「零点エネルギー(真空のエネルギー)」なんじゃないの。あのネーターの式のように「綺麗にゼロに収まる」ことを自然界が拒否した証拠だと思うけどね。
「時間と空間」の概念すらも、差分のリレーで書き換えたんじゃないの?
光の速さに近づくと、ニュートンの綺麗な公式と実態の間にズレ(差分)が出るよね。アインシュタインはそれをノイズとせず、「時間が遅れ、空間が縮む」という時空の差分として次に利用したんじゃない。「物質(質量)が存在する」ということ自体が、完全に平らな時空に対する「差分(ゆがみ)」になる。
そのゆがみという差分を次に利用して「重力」が生まれ、さらにその差分が宇宙全体を押し広げたり縮めたりする宇宙論みたいな、「差分の連鎖」が数式化したんじゃなかったっけか・・・
物質をどんどん冷やしていったとき、元老院たちの綺麗な古い公式(古典力学)では「エネルギーは完全にゼロになる((ΔS = 0) のように収まる)」だったよね。でも、実態は収まらなかったじゃん。光や原子の振動の熱を計算すると、古い式と実態の間にどうしても「奇妙な差分」が出たじゃん。アインシュタインは、その差分を「エネルギーは粒々(光量子/固体振動の量子)として不連続にしか動けないからだ」って次のルールに利用したんじゃないの?これが量子力学のはじまりみたいなものじゃん。ほかにも、アインシュタインは、温度を絶対零度(極限のゼロ)にしても、物質は完全に静止せず、どうしても引けない「最低限の差分」が残ることを見抜いたよね。これが「零点エネルギー(真空のエネルギー)」なんじゃないの。あのネーターの式のように「綺麗にゼロに収まる」ことを自然界が拒否した証拠だと思うけどね。
「時間と空間」の概念すらも、差分のリレーで書き換えたんじゃないの?
光の速さに近づくと、ニュートンの綺麗な公式と実態の間にズレ(差分)が出るよね。アインシュタインはそれをノイズとせず、「時間が遅れ、空間が縮む」という時空の差分として次に利用したんじゃない。「物質(質量)が存在する」ということ自体が、完全に平らな時空に対する「差分(ゆがみ)」になる。
そのゆがみという差分を次に利用して「重力」が生まれ、さらにその差分が宇宙全体を押し広げたり縮めたりする宇宙論みたいな、「差分の連鎖」が数式化したんじゃなかったっけか・・・
昔の学者さんはさ「宇宙のどこかに、絶対に動かない基準の部屋(絶対空間)があり、そこには絶対に狂わない時計(絶対時間)がある」みたいな事言ってたんだよ。でもアインシュタインはそれを「人間のエゴ(妄想)」として切り捨てたんだよ。
宇宙なんて「正しい1つの時間」なんて存在するわけないじゃん。あるのは、「Aさんから見た時間」と「Bさんから見た時間」の間の【差分(ズレ)】だけなんじゃないの?
宇宙なんて「正しい1つの時間」なんて存在するわけないじゃん。あるのは、「Aさんから見た時間」と「Bさんから見た時間」の間の【差分(ズレ)】だけなんじゃないの?
-----------------アインシュタイン--------------------
一般相対性理論と「場」:「絶対的な重力という力」があるのではない。物質が存在することで、その周囲の「場(時空)」に平らな状態からの【差分(ゆがみ)】が生まれる。その「場の差分」が次の物体の動き(重力現象)を決める。
ブラウン運動と「揺らぎ」:「絶対的に静止した水」など存在しない。ミクロな世界では常に位置と運動の平均からの【差分(揺らぎ)】が激しく起きており、その差分を凝視することでしか「原子という実態」は観測できない。
零点エネルギーと「境界」「エネルギー差」:
エネルギーの「絶対値がゼロ」という状態は自然界にない。量子力学の世界では、エネルギーの「絶対的な大きさ」には意味がなく、「ある状態と別の状態の【エネルギー差(差分)】」だけが、光や熱として外に観測される。
半古典論と「境界」:「ここからマクロ、ここからミクロ」という絶対的な境界線は引けない。古典的な公式(理想)と量子的な揺らぎ(実態)の【境界の差分】をどう滑らかに繋ぐかという問題そのもの。
----------------------------ファイマン------------------------------
ノーベル賞をもらった「量子電磁力学(QED)」の発見の話はさ、「計算が収まらない差分」を燃料にした大逆転劇だったんじゃなかったっけ。一般相対性理論と「場」:「絶対的な重力という力」があるのではない。物質が存在することで、その周囲の「場(時空)」に平らな状態からの【差分(ゆがみ)】が生まれる。その「場の差分」が次の物体の動き(重力現象)を決める。
ブラウン運動と「揺らぎ」:「絶対的に静止した水」など存在しない。ミクロな世界では常に位置と運動の平均からの【差分(揺らぎ)】が激しく起きており、その差分を凝視することでしか「原子という実態」は観測できない。
零点エネルギーと「境界」「エネルギー差」:
エネルギーの「絶対値がゼロ」という状態は自然界にない。量子力学の世界では、エネルギーの「絶対的な大きさ」には意味がなく、「ある状態と別の状態の【エネルギー差(差分)】」だけが、光や熱として外に観測される。
半古典論と「境界」:「ここからマクロ、ここからミクロ」という絶対的な境界線は引けない。古典的な公式(理想)と量子的な揺らぎ(実態)の【境界の差分】をどう滑らかに繋ぐかという問題そのもの。
----------------------------ファイマン------------------------------
当時は電子のエネルギーを学者たちの綺麗な古典的公式で計算すると、答えが「無限大(∞)」になってしまい、数式の中に絶対に収まらなかった。みんなが絶望する中、ファインマンはこう考えたよね。
「じゃあ、その公式(理想)と、実験データ(実態)の間の【差分】だけを引き算して、次の計算に使い回せばいいじゃんじゃん」 そう、「くりこみ理論」
数式に収まらない無限大のズレを「ゴミ(ノイズ)」と捨てず、現実との「差分」として捉え直して次の数式に再利用したことで、彼は宇宙で最も正確な予測ができる数式を完成させた、まさに不可逆的な発想だよ。
彼は量子力学を「経路積分」という方法で書き換えて「絶対的なものを置かず、現象を読む」
「粒子は、すべてのルートを同時に試している。だけど、本命のルートから外れた『おかしなルート同士』は、お互いの波が打ち消し合って【差分】がゼロになる。その結果、マクロな世界(僕たちの目に見える世界)では、まるで1本の綺麗なルート(古典力学)だけを通っているように見えているだけなんだ」って
「真実とは、常にあなたが思っていたよりもシンプルなものだ。だけど、実験(実態)とすれ違うなら、どれだけその数式が美しくても、どれだけ作った人間が賢くても、それは間違っている」
そうじゃないのか。少なくともファイマンの考え方は正しいと思うよ。
保存則は「何が保存されるか」を決めるだけで、時間発展自体を止めるわけじゃない。
エネルギーが保存されても、カオス的な運動、星の形成、生命の進化は起きる。 対称性の自発的破れがある。
綺麗な対称性を持った理論でも、低エネルギーでは対称性が破れて多様な構造が生まれる(ヒッグス機構とか、超伝導とか)。 現実の系では対称性は近似的。
ノイズ・摩擦・熱・量子揺らぎが入ると、保存則は「平均的に」または「あるスケールで」成り立つ。そこに新しい現象(相転移、不可逆過程、情報生成など)が生まれる。 量子論・統計力学では、差分自体が理論の核心になっている。
真空の揺らぎ、零点エネルギー、経路積分での「全部のルートを試して干渉で差分が消える」仕組み……全部「綺麗なゼロ以外」の世界だ。
こんな感じで言ってたんだよ。
でもそれってさ、「ネーターの定理(対称性と保存則)が正しくても、その『枠組み(固定背景)の中』でカオスや生命や相転移みたいな複雑な現象(差分)は起きるよ」という、元老院達の安全な言い訳じゃん。こっちは「ネーターの定理の式じゃ収まらない」と言ってるのに。
ネーターの定理が「保存則」を導き出すための絶対に譲れない前提が1つあるよね。
「時間や空間(場)は、人間が何をしようが、現象がどう起きようが、絶対にピクリとも変化しない『不変のステージ(固定背景)』である」
これと、上に書いた学者さんたちの話は辻褄の合わない言い訳にしか聞こえないでしょ。
空間平移対称性(運動量保存)の元々の意味:
宇宙の右端から左端まで、空間が完全に平らで、何のゆがみもない固定された背景であるからこそ、運動量が保存します。
つまり、ネーターの定理の「元」にあるのは、僕が嫌う「絶対に変化しない『絶対的なもの』を最初にドスンと置く」という、そっち系学者さんたちの思想そのものなんだよね。前にも書いた「一般相対性理論は、宇宙を固定背景ではなく、変化する場として扱う」は、ネーターの定理の限界(収まらない証拠)だと思うよ。一般相対性理論では、物質が動くと、背景であるはずの「時間」や「空間」自体がグニャグニャゆがんで変化しちゃうよね。背景が固定されていない(対称性がない)、ということは、ネーターの定理の前提が崩れるわけさ。その結果、一般相対性理論(宇宙全体)では、「元々の意味でのエネルギー保存則」は成り立たなくなる。学者たちはこれを「一般共変性」という別の言葉で綺麗に言い繕おうとするけど、実態は、「背景すら変化する場にしてしまったら、あの1行の綺麗な式(ネーターの定理)には絶対に収まらない」よね、
なにごまかしてるの?って話。
ということで、野菜炒め定食を食べ終えたので
差分の話は気持ちよく終わりにする。
彼は量子力学を「経路積分」という方法で書き換えて「絶対的なものを置かず、現象を読む」
「粒子は、すべてのルートを同時に試している。だけど、本命のルートから外れた『おかしなルート同士』は、お互いの波が打ち消し合って【差分】がゼロになる。その結果、マクロな世界(僕たちの目に見える世界)では、まるで1本の綺麗なルート(古典力学)だけを通っているように見えているだけなんだ」って
そうじゃないのか。少なくともファイマンの考え方は正しいと思うよ。
いやね、学者さんたちが
エネルギーが保存されても、カオス的な運動、星の形成、生命の進化は起きる。
綺麗な対称性を持った理論でも、低エネルギーでは対称性が破れて多様な構造が生まれる(ヒッグス機構とか、超伝導とか)。
ノイズ・摩擦・熱・量子揺らぎが入ると、保存則は「平均的に」または「あるスケールで」成り立つ。そこに新しい現象(相転移、不可逆過程、情報生成など)が生まれる。
真空の揺らぎ、零点エネルギー、経路積分での「全部のルートを試して干渉で差分が消える」仕組み……全部「綺麗なゼロ以外」の世界だ。
でもそれってさ、「ネーターの定理(対称性と保存則)が正しくても、その『枠組み(固定背景)の中』でカオスや生命や相転移みたいな複雑な現象(差分)は起きるよ」という、元老院達の安全な言い訳じゃん。こっちは「ネーターの定理の式じゃ収まらない」と言ってるのに。
ネーターの定理が「保存則」を導き出すための絶対に譲れない前提が1つあるよね。
「時間や空間(場)は、人間が何をしようが、現象がどう起きようが、絶対にピクリとも変化しない『不変のステージ(固定背景)』である」
これと、上に書いた学者さんたちの話は辻褄の合わない言い訳にしか聞こえないでしょ。
時間平移対称性(エネルギー保存)の元々の意味:
宇宙の始まりから終わりまで、時間が「1秒、2秒、3秒……」と、完全に平らで、絶対に変化しない均一な背景として流れているからこそ、エネルギーが保存します。
宇宙の始まりから終わりまで、時間が「1秒、2秒、3秒……」と、完全に平らで、絶対に変化しない均一な背景として流れているからこそ、エネルギーが保存します。
空間平移対称性(運動量保存)の元々の意味:
宇宙の右端から左端まで、空間が完全に平らで、何のゆがみもない固定された背景であるからこそ、運動量が保存します。
つまり、ネーターの定理の「元」にあるのは、僕が嫌う「絶対に変化しない『絶対的なもの』を最初にドスンと置く」という、そっち系学者さんたちの思想そのものなんだよね。前にも書いた「一般相対性理論は、宇宙を固定背景ではなく、変化する場として扱う」は、ネーターの定理の限界(収まらない証拠)だと思うよ。一般相対性理論では、物質が動くと、背景であるはずの「時間」や「空間」自体がグニャグニャゆがんで変化しちゃうよね。背景が固定されていない(対称性がない)、ということは、ネーターの定理の前提が崩れるわけさ。その結果、一般相対性理論(宇宙全体)では、「元々の意味でのエネルギー保存則」は成り立たなくなる。学者たちはこれを「一般共変性」という別の言葉で綺麗に言い繕おうとするけど、実態は、「背景すら変化する場にしてしまったら、あの1行の綺麗な式(ネーターの定理)には絶対に収まらない」よね、
なにごまかしてるの?って話。
数式のために現実を歪めるなって話
ということで、野菜炒め定食を食べ終えたので
差分の話は気持ちよく終わりにする。
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